アイソン彗星

アイソン彗星ISONが観られる日が1カ月後に近づいてきました。太陽に最も接近するその近日点通過は11月29日だそうです。

近日点通過とは、太陽に最も近づくときのことで、アイソン彗星は太陽に近づく軌道を持っていて、太陽に熱せられ活動が活発になり明るくなり、わたしたちが肉眼でも見えるほどの明るさになるとのことです。

【アイソン彗星について】

2012年9月21日(世界時)、ベラルーシのヴィタリー・ネフスキー(Vitali Nevski)とロシアのアルチョム・ノヴィチョノク(Artyom Novichonok)は、国際科学光学ネットワークの40cm反射望遠鏡を用いた観測で、かに座方向におよそ19等の彗星状の天体を捉えました。発見時、この天体にはわずかに拡散したコマが認められましたが、その後の複数の確認観測により彗星と確定され、「アイソン彗星(C/2012 S1(ISON))」と命名されました。アイソン(ISON)は、発見者が所属する国際科学光学ネットワーク(International Scientific Optical Network)の略称です。

発見時の、太陽からアイソン彗星までの距離は約6.3天文単位、木星の軌道よりも外側の遠い位置でした。(参考:CBET No.3238, 2012 September 24)

しかし一方で、太陽に極端に近づく軌道を持つ彗星の場合、近日点通過の際に、彗星本体が分裂したり崩壊したりして、姿を消してしまう可能性もあります。彗星が分裂・崩壊せずに近日点通過後も元の姿をとどめるか否かは、彗星本体の大きさやもろさとも関係します。近日点通過後のアイソン彗星が、どのような姿で再び私たちの前に現れるかは予測が難しいところです。

※自然科学研究機構国立天文台ホームページより抜粋

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確か3カ月ほど前、JALホームペ―ジより「JALチャーター機に乗って空からアイソン彗星を眺めよう」の12月8日発ツアーのお知らせをもらっていましたが、つい先日娘が学校の理科の先生から、11月29日に肉眼でとても大きく観られる彗星が観察できるという話を聞いてきて思いだしました、それがアイソン彗星です。

小さい頃から小学校行事でプラネタリウムを観に行くことが多く、わたしは、あのお腹に響くような音響とドームの夜空の天体ショ―が大好きでした。

今まで観た中で一番感動した夜空は、平成10年11月のしし座流星群と、毎夏休みに家族旅行で行った八丈島です。滞在中お天気に恵まれ、特に夜空は毎晩満天の天の川で、今にも星たちが降ってきそう、手が届きそうなほど近く観えました。

夫に肩車された幼い娘と、就学前の息子がウワ―ッと夜空に手を広げて星を掴んでいるようなしぐさをしたその姿がとても印象に残っています。

JALツアー発売当初は、明け方出発のツアーだしきっと高くて行かれないけれどいくらくらいかなと思っていました。それが先日のDMメールで「完売御礼」となっていてもうだめかと思っていたところ、価格表の下方に「翼の上」と「通路側」の2万円台がわずかに残席あったようで、子供たちに「雲の上の飛行だからお天気には左右されないし彗星自身が消滅してしまうこともあるらしいけれど、行ってみる?」

と聞いているその間に「完売御礼」の印がついてしまいました。

トホホでしたが、人生そんなものです。では地上から明け方の東の空を駆けるアイソン彗星を肉眼で観られることを願って!sol(10月29日2013年)

はやぶさ

少し前に映画「はやぶさ」を観ました。

息子の通っていた高校の卒業生に宇宙飛行士の若田光一さんがいるので、現在住んでいるここさいたま市では宇宙の話題には事欠くことがありません。

先日も宇宙科学館で講演会が開かれていました。

わたしが小さい頃は、大きくなったら「野球選手になりたい」子供が多かったように思いますが、ここさいたま市では小さい頃からクラブチームや草野球ならぬ大小サッカーチームも多く「サッカー選手になりたい」というお子さんがとても多いです。子供にとって育った環境、土壌はとても大切ですね。

同様に、世界を超えて宇宙への道を切り拓いてくれた若田光一さんに続け!とばかりに、天文学者や宇宙関係の道に進まれる人が増えてくれることを願っています。

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わたしが空を眺めたり星を観るのが好きな事と、それもあって「はやぶさ」は是非観てみたい!とかねてより思っていました。

実話を映画化したもので淡々としたスト―リ―なのかなと思っていましたが、観はじめたら、涙があふれ、最後は涙が止まらなくなってしまいました。

【はやぶさ(ストーリ―)】

2010年6月13日、日本から打ち上げられた小惑星探査機<はやぶさ>が、いくつもの絶体絶命のピンチを乗り越えて、地球に帰って来た。月以外の天体からサンプルを採取して持ち帰るという、NASAでさえ成し得なかったミッションを果たすために―。わずか1〜2メートル四方の小さな<はやぶさ>の7年間・60億キロに及ぶ旅を支えたのは、ユニークな経歴を持つメンバーで構成されたプロジェクトチームだった。プレッシャーと次々と降りかかるトラブルに、心を一つにして立ち向かうチームのメンバーたち。不屈の魂を持つ彼らに心をわし掴みされた日本の映画人とハリウッドのスタジオが強力タッグを組み、プロジェクトチームの闘いの日々を追いかけた、感動のエンタテインメント!

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小惑星<イトカワ>のサンプルを採取して持ち帰る任務を受けた「はやぶさ」は無事に宇宙へ出発しましたが、ロスト(行方不明)や燃料不足にあえぎ苦しみながらも日本の期待に応え大役を果たして帰還します。

小惑星<イトカワ>は糸川英夫先生の名前が命名された平均半径が約160メートル、長径500メートルあまりしかない小天体であり、 これはこれまで惑星探査機が探査を行った中で最も小さな天体でピーナッツのような(映画の中では「ラッコ」と表現しています)形をしています。

【イトカワ】

イトカワと命名される

2003年5月9日、内之浦宇宙空間観測所からM-Vロケット5号機によってMUSES-Cは打ち上げられ、はやぶさと命名された[18]。打ち上げ後、はやぶさはEDVEGAを用いて1998 SF36を目指すため、5月末からイオンエンジンの運転を開始した[19]。そして宇宙科学研究所ははやぶさの目的地である1998 SF36に、日本のロケット開発の父・糸川英夫の名前を付けるよう命名権を持つ発見者のLINEARに依頼した。LINEARはこれを受けて国際天文学連合に提案、2003年8月6日に承認されて「ITOKAWA」と命名された[20]。2004年5月19日には、はやぶさはEDVEGAによる地球スイングバイを成功させ、秒速30キロメートルから34キロメートルへと増速がなされ、予定通りイトカワへ向かう軌道に乗った[21]。※ウィキぺディアより抜粋

「ぼくの故郷地球はほんとうにきれいだ。みんな、ただいま。」

大役を終え、そう言って大気圏に突入して帰還するとき「はやぶさ」くんはあっという間にバラバラになっていきます。

この小惑星<イトカワ>の糸川先生の

「宇宙実験では失敗と呼ばず<成果>と言う」

この言葉は、宇宙実験だけでなく今のわたしたちの行動の全てにあてはまると思いました。

それまでは失敗は成功の元、と子供たちに言ってきましたが、以来この<成果>の話をするようにしています。本当によい言葉だと思いました。

映画をご覧頂ければおわかりになりますが、JAXAが全面協力、7年間で60億キロ活動し日本中に勇気をくれた「はやぶさ」くんと、それを支えた人々を描く感動の物語です。

是非一度ご覧ください。sol(10月17日2013年)

一滴文庫の展覧会と講演会

【若州一滴文庫 島田正治展】

5月19日(日)午後1:00より 

くるま椅子劇場にて島田正治講演会が行われました。

地元のお客様をはじめメキシコより来日中のお客様や東京、京都、大阪、奈良からなど100名近いたくさんのお客様にご来館・ご参加いただきました。

第一部では、故・水上勉先生が島田正治展覧会開催中の銀座文芸春秋画廊を訪れ作品を初めてご覧頂いた時の事、その後交流が始まりお便りでのやりとり、ここ一滴文庫開館当時に訪れた話、水上勉先生の別荘で一晩中語り明かした思い出などをお話しました。

昭和59年(1984)6月に水上勉氏によって発表された若州一滴文庫の設立趣意書には、ここ大飯町出身の水上先生の一滴文庫設立の思い入れが述べられています。

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喫茶室の六角道ではメキシコのノパルサボテンのアイスがふるまわれ束の間「ノパルとは?」という話に花が咲きました。

ノパルは食用のうちわサボテンでビタミン・ミネラルが豊富で野菜が多くないメキシコではステーキなどの付け合わせとして欠かせないものです。

ご記憶の方もいらっしゃると思いますが両親が出演した「ぽかぽか地球家族」ではノパルのソテーが紹介されていましたね。

第二部は本館に戻り島田正治が作品展示室にて日本の5.5倍ほどある広大で雄大なメキシコの話、制作の苦労話などを語りました。

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タスコの町(204×137?)※ポスター掲載作品。

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島田正治の墨画が京壁(土壁)に融け込み、しかしメキシコの雄大な風景が浮かび上がって迫りくるような素晴らしい空間での展覧会です。8月5日まで開催、ぜひお運びください。

また今回ご来館いただきました皆様には心より御礼申し上げます。

sol(2013年5月25日)

若州一滴文庫 島田正治展

【予告】

◆若州一滴文庫・島田正治展のご案内

日時:2013年5月8日ー8月5日

(火曜休館、祝日の場合は開館、翌日休館ご注意ください)

会場:若州一滴文庫

福井県大飯郡おおい町岡田33-2-1

0770-77-2445

島田正治講演会

演題「墨と太陽」

5月19日(日)午後一時より

入館料 300円(要予約/先着150名様)

故・水上勉先生と交流のあった作家展、今年は島田正治展が開催されることになりました。ご遠方ですがみなさまぜひお出かけください!sol(4月12日2013年)

※案内状ご希望の方はこちらまで ?お名前?ご住所?お電話番号 をお知らせ下さい。折り返し確認のメールをお送りいたします。アルテ・シマダ(4月12日)

ドミンゴブロック作品展 at 三井コレクション

【ドミンゴブロック作品展】

作品展示、即売会を行います。

日時:12月20日(木)−24日(土)12:00−5:00

会場:三井コレクション

千葉県香取市丁子(よおろご)737-1, 

主催:アルテ・シマダ

協力:三井コレクション

会場までのアクセスにつきましてはお問合せください。

お近くのみなさまぜひこの機会におでかけください。

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本日よりドミンゴブロック作品展が三井コレクションで始まりました。地元の食材とアボカドオイルをたっぷり使った美味しいフレンチとオールドノリタケの数々も素晴らしく是非一度は訪れてみたいミュージアムです。

都会の喧騒から解放され、自然の中の広々とした空間でゆったりと過ごすことができます。

会期中、レストラン予約はランチ・ディナー既にいっぱいとのこと

ですがお電話にてご確認ください。

※三井住友VISAカードの月刊誌1月号にては香取佐原の特集、三井コレクションさんも掲載されますのでぜひご一読下さい、お楽しみに!sol(12月20日)

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△オールドノリタケ陶磁器とドミンゴ作品

夏休みの思い出―1970年代

夏休みの思い出4

父がメキシコに住み始める1986年までの夏休みは、西伊豆・松崎温泉の民宿滞在か、京都に行っていました。

【京都の思い出】

京都・二条の家は父の実家です。

当時は、家業である紋章上絵師の祖父と後継ぎの三男の叔父家族が、また隣には長男の伯父家族が住んでいました。

京都では、7月には祇園祭、8月はお盆休みや大文字焼き(五山の送り火)があり、わたしたち一家は、母が中学校教員でしたので「登校日」が終わってからの、京都の家族の忙しさが一段落する地蔵盆の頃に行くことが多かったように思います。

地蔵盆(じぞうぼん)は8月23日、24日で、地蔵菩薩の縁日(毎月24日)であり、なおかつお盆の期間中でもある旧暦7月24日に向け、その前日の宵縁日を中心とした3日間の期間を指し、またそのうちの日を選んで行われる地蔵菩薩の祭のことをいう。地蔵盆は一般には寺院に祀られている地蔵菩薩を対象とした祭りではなく、道祖神信仰と結びついた路傍あるいは街角(辻)の地蔵が対象となっている。(wikipediaより抜粋)

同年代の従兄妹たちがいたので当番のお宅に一緒に連れて行ってもらうのですが、決まって「東京から来たんや、従姉妹やで」と紹介してもらいます。

お供え物をして「百万遍大数珠繰り」を行うということを後に知りましたが、私が参加した地蔵盆では一度もやったことなかったです(記憶にないだけかも)ただただ東京にはない珍しいお菓子が食べられる嬉しさや初めて会う同年代の子供たちと共通の話題をさがしたりちょっぴり緊張しながら過ごす子供だけの世界でした。

恐らく町内の子供の人数分お菓子の袋が用意されているのでわたしたち姉妹の分をいただくのが子供心に申し訳ない気がしていました。が、叔父や伯父たちが「小川の島田です、正治さんとこの子供や。」というと不思議と自然にお菓子をもらうことができました。

父は4人兄弟の中ではかなりのいたずらっ子だったようですが学級委員(級長)をしたり後には堀川高校を卒業、京都教育大学から学芸大学に編入したことを、町内の方々はご存じのようで「ああ正治はんとこね」と近所のおばさん達が頷いてお菓子をくれたものですが、これは今から思えば「京都から東京に出て行ってしまった息子さん」というニュアンスの頷きだったようです。

この後1986年にメキシコへ渡ってからは、ようやく海外在住の「画家」としての「正治はんとこね」言われるようになった気がします。

そして私も京都へは家族旅行としてではなく一人旅として訪れるようになり、大学時代は毎春休み訪れていました(叔母には本当にお世話になりました)が1986年メキシコ観光に就職してからの夏休みは仕事を兼ねてほとんどメキシコ旅行となっていきました。

sol(7月20日)

夏休みの思い出―1976年

夏休みの思い出3

【サイクリングで奈良古墳巡り】

母が世田谷区で教員をしていたので修学旅行で訪れた奈良飛鳥のサイクリングがとても楽しかったので、翌年わたしたち姉妹を連れて行ってくれました。

京都の二条の家から奈良へと向かいました。

サイクリングのルートマップのようなものがあり、それに従い周ります。お天気もよく炎天下で水分補給で休憩しながらだったとは思いますがよくぞ母一人で2人を率いてくれたと、今になって思います。

折りしも1972年に発見された高松塚古墳の極彩色の壁画をはじめ奈良古墳巡りがブームになった頃でした。みなさんも行かれた方は多いのではないかと思います。

6世紀末から7世紀末までの約100年間、日本の中心地だった飛鳥。その後、日本初の本格的な都として計画され機能した藤原京が造られました。日本の古代史の舞台となった地です。(歩くなら、より抜粋)

明日香村の飛鳥寺、石舞台古墳、大和三山を訪れそして樫原神宮にて昼食をとったと母が教えてくれましたが、わたしが覚えているのは、暑くて汗だくだったことと石舞台古墳の大きな石と地面の照り返しが熱くて熱くて長時間いられないなと思ったことです。

そのサイクリングして訪れたルートを自分のイラストと写真で模造紙に描き社会科の宿題として提出しました。わたしの記憶は、描くことによって維持されているようです(笑)。

そしてこれを最後に以降は家族でメキシコ旅行に行くようになりました。sol(7月18日)

夏休みの思い出―1960年代、幼少の頃

夏休みの思い出2

夏の旅行といえば、京都と、そして「兵庫県の竹野」でした。

【父の心の故郷・竹野】

竹野は兵庫県の日本海側の町で、父の母である、早くに亡くなった祖母・千代の故郷です。父たち兄弟は夏になるとここへ遊びに行ったそうで当時は「おはなはん」と呼ぶ叔母と父の従姉弟たちが暮らしていました。

泳いだのは竹野や切浜の海岸で日本海は深い色(深そう)で波も荒かったような。そしてやたら大きな海藻や藻、そしてフナ虫がいて、ビーチサンダルで海辺を歩くと波に足をさらわれそうになったりしてちょっぴり怖いけれど、長期滞在型でしたので来る日も来る日も海で過ごした記憶があります。

ここは同じ夏休みでも暑かった思い出はなく、古くて黒い漆喰の床や階段がお化け屋敷のようでゾクッときたので、子供心に涼しく感じたのかもしれません。

また蚊帳釣りで寝るので夜もどのようにおトイレを済ませたのか、こちらも怖くて覚えていません。

ここでは竹野の「おはなはん」叔母が別れ際に金平糖をくれたのが印象深く、またその甘くてしっとり消えてゆく味が実に美味しかったことを覚えています。

今でも金平糖を見かけると買って食べたくなりますし、お茶席で出ますと素直に「美味しい!」と感じます。小さい頃の味覚や思い出は一生忘れられないものになっているのだなとしみじみ思います。sol(7月19日)

夏休みの思い出ー1970年

もうすぐ夏休み、梅雨明け宣言が出され蝉の鳴き声が響いています。どこへ行くのか待ち遠しかった子供時代でした。

夏休みの思い出といえば「大阪」「兵庫」「京都」「奈良」へ行った家族旅行の思い出です。

【1970年の大阪万博】

父の叔母が通天閣近くでおこし屋さん(粟おこしです)を営んでいたので家族で泊めていただき大阪万博へ行ってきました。

このときの記憶で鮮明に残っているのがミドリ館。後に夏休みの絵に描きました、それで思い出したのですが、下から見上げただけのミドリ館だったのに絵に描いたものは上空からの眺めのパノラマ仕様でした。

そうなんです思い出に買ってきた絵葉書を見て描いたんですね。

そのミドリ館の色がとても色鮮やかだったので描く時にはクレヨンでグラデーションを出すのに苦労しました。エアドームも覚えています、そしてもちろん聳えていた太陽の塔と水前寺清子の「世界の国からこんにちは」のテーマソング。

今テレビコマーシャルで、ホンダの「ドラえもんシリーズ」ではタイムマシンで1964年東京オリンピックに遡っていますが、まさにあの時代の光景です。

この辺りの事は、同世代の方々は体に染み込んでいるのではないかと思われるほど万国共通の話題で会話が弾みます。

わたしもタイムマシンでもう一度大阪万博に行ってみたいなぁと本気で思いました。「ナミヤ雑貨店の奇蹟(東野圭吾)」にも色々な年代へ遡る時代背景が描かれており懐かしく読破したところです。

夏休みを終えると「万博行った?」が合言葉で、入場者数は史上最多の6421万人(上海万博7278万人には記録を塗り替えられましたが)会期終了の9月までにはほとんどのご家族が行ったようでした。

両親に手を引かれて出かけた暑い暑い夏の思い出です。

sol(7月17日)

サン・フェリペ・サンチャゴ村の刺繍布

数年ほど前から、メキシコ市のボデガオアハカサンナンヘルなどの高級バザールで見かけてはいたものの、そのお値段に「次にはお金貯めて購入しよう!」と心に決め憧れていた民芸品がありました。

それが「サン・フェリペ・サンチャゴ村」の毛織物の刺繍布です。

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サン・フェリペ・サンチャゴ村トルーカ市から更に車で1時間、調べてもらったメキシコ人からは「本当にそんな奥地まで行くんですか?」と言われたほどですが、東京からさいたま市へ、そこから秩父へ行く、そんな行程を想像していただければよいかと思います。

トルーカ市(標高2680m)は、メキシコ州Edo.de Mexicoの州都。メキシコ市(標高2240m)から車で1時間、更に標高が高いネバダデトルーカという雪を頂く山々に囲まれている美しい町です。

わたしの現在住んでいるさいたま市(旧浦和)とは姉妹都市で、そしてメキシコ州は埼玉県と姉妹都市(提携30周年)提携を結んでいるので、埼玉県ではメキシコ人留学生などに逢うことも多いです。

メキシコで一番暑いといわれている3月〜5月ですが、この季節にしては標高も高いので寒いと聞きジャンパーを持参しましたが照りつける日差しと乾燥した空気で、メキシコ市とほぼ変わらず25度前後だったように思いました。

トルーカは、かつて父・島田正治が描いたことのあるその町の名前の通り風光明媚な町バイエデブラボーValle de bravoやミチョワカン州モレリアへの入口でもあります。

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トルーカは標高が「やや高い所」という認識はあったのですが、探していた民芸品を求めて山奥へ、いくつかの山越えをしているうちにひどい頭痛を感じました。

同行してくれたホームステイの家族は必至でその民芸品の村を探し訪ねてくれたのですが、村人はみな町へ商品を売りに行っているということで結局は村の女性たちの制作現場を見ることはできませんでしたが、山を下りてきてようやく、市内にあるトルーカ市民芸館にて作品に巡り合うことができました。

山を周っている時、アラべ(アラブ)のタぺストリ工房があり、他にもいくつか民芸の村々が点在しているということがわかりました。石垣の門にはタぺストリがはためいていたのでわかりましたが、ともすると見過ごしてしまいそうな小さな入口なのに作品は驚くほど高額で、しかも大作ばかり。お金の用意があるなしでなくてこれは飛行機では持って帰れない、日本で購入したほうが割安かなと思いました。

この間、とても素晴らしい景色のマゲイ(竜舌蘭)の段々畑の間などを走ったのですがあまりの頭痛でボーっとしていて写真を撮りそびれてしまいました、とても残念です。

(旅行を終える頃になってから高山病だったということがわかりました)

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かつて、これらの村々ではトウモロコシ栽培を中心とした農業を行っていましたが、25年前当時のトルーカ民芸館館長の提案で女性たちが家内工業として刺繍を手掛けるようになったとのことです。

今でも家々の庭先には、黄色や白黒の色々なトウモロコシが乾燥箱に積まれニワトリが広い土地の中を走り回っていました。トウモロコシが原料のトルティーヤ製造工場もあちらこちらにあり、トウモロコシは刺繍のモチーフにもなっています。

メキシコ市に戻り、ようやく見つけた刺繍布を見せてメキシコ人に自慢すると「ああこれなら知っている、見たことあるよ」と言うのですが、インディオの女性たちがよくメルカードで制作したりしているのでオリジナルがサン・フェリペ・サンチャゴ村であることを知らなかったとのことです。

メキシコ民芸品は安価なイメージがありますが、藁などを取り除いてから毛糸を紡いで刺繍を施してゆくこの作品は、忍耐と時間を要しますから値段も相応にします。

綿の刺繍布は鍵付きのガラスケースに飾られていたほどです。中国のスワトウ刺繍のようですね。

わたしもようやく出会えた素敵な刺繍作品に、これからも継続して購入(値切れません!)みなさまご紹介し、村の人々に微力ではありますが貢献していけたらと考えています。sol(9月15日)

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△トウモロコシのモチーフ 220x43cm(素材ウール)15700円