キューバ紀行その2

メキシコ観光?に就職してから3年目の1990年7月、仕事でキューバを訪れる機会がありました。

当時メキシコ観光?では、メキシコ駐在の方が夏休みを利用して日本に住んでいる家族を呼び寄せる「呼びよせツアー」なるものがあり往復の航空券に弊社添乗員がつき、初めてメキシコを訪れる人向けに入国書類を用意したり、またメキシコの入国審査・税関などグループ扱いなので安心して旅することができることで評判でした。

そのツアーで添乗を兼ねてメキシコ入りし翌日メキシコ観光メキシコシティ本社社員のマルタ・レイナと共にキューバを訪れました。

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【1990年7月28日】

メキシコ市からメヒカーナ航空311便でユカタン半島のメリダMeridaへ、(2時間弱)ここで出国審査を行い小一時間でキューバの首都ハバナLaHabanaに到着。

目立つように水色の縦縞柄シャツを着ているのがツアーガイドらしく、今日7月28日がカーニバルCarnaval最終日だったそうで暑い海風が吹き抜ける空港には、スペインやメキシコから到着した外国人観光客で溢れていました。

宿泊は市内にそびえ建つハバナリブレHotelHabanaLibre、(旧ヒルトンホテル)キューバ国営観光会社Cubaturが主催する国内ツアーに申し込み、あとの時間はハバナ市内ホテルインスぺクションに周ります。日本人にも人気のナショナルホテルHotelNacionalは残念ながら改装中でした。

ウエルカムドリンクモヒ―トMojito

キューバ特産ラム酒ベース、ミントとライムが爽やかなカクテルで女性にもお勧め、初めて飲むモヒ―トは暑いハバナにマッチしとても美味しかったです。

【7月29日】

ハバナ旧市街など市内観光へ。

マルタはハバナでしか手に入らないというオメオパタHomeopataを処方してもらいに行っていました。何の薬だかは忘れましたが日本でいう漢方薬みたいのかなと思いました。

【7月30日】

ハバナ西200kmバスで片道約約3時間ビニャ―レス渓谷Valle de Vinalesのオプショナルツアーに参加。US$30.00。

このピニャ・デル・リオPinar del Rioがキューバの中では一番印象的に残っています。むせる緑の匂いと草原の風景は素晴らしく、見渡す限りの桂林のような山々、石灰岩の山脈には鍾乳洞Cueva del Indioがあり、洞窟の中を小舟で遊覧(生まれて初めての鍾乳洞でした)手つかずの自然とはこういうものなのだなと思ったものです。

その後1999年に世界遺産に登録されました。

野外ランチの後、男性に葉巻、女性にはマラカスをプレゼントしてくれました、自分へのお土産ができて嬉しかったです。その後、葉巻タバコ工場で葉巻の作製風景やプランテーションを見学、素晴らしい海岸線を眺めながらハバナに戻りました。

【7月31日】

近場のカサ・ブランカCasaBlancaへ行ってみようかということになり、いざ列車で出発、2時間半、片道20ペソ。

運河を隔てた小島でチェ・ゲバラErnesto Rafael Guevara de la Serna邸もあると聞いていましたが観られず他には何もないのですぐにハバナに戻りボデギ―タBodeguita del Medioで昼食。ご存じの方も多いと思いますがここには壁いっぱいの落書きやサインが残っていて有りし日の面影を見ることができます。

【8月1日】

申し込んだバラデロ行きツアーが催行されなかったのでPlaya del Esteで海水浴。ランチはLaParilladaにて。

午後8:30〜トロピ―カ―ナショウTropicanaへ。

夜8時といってもはまだ薄明るく昼間の暑さも残っていますが、市内から15分ほど移動した野外公園の一角でショウが行われます。

質素な人々の暮らしや街中と比べ裏腹な華やかさを放つキャバレーショウですが、まだ暑さの残る海風に吹かれながら頂くミント入りモヒ―トは爽やかで、同じツアー客のメキシコ人セニョーラたちと乾杯!

【8月2日】

念願のバラデロVaraderoビーチへ!

途中Matansazの町を通り片道3時間。インターナショナルホテルHotelInternacionalにてランチ、ロブスターの炭焼き(US$15.00)を食べる。それは大きなロブスターでプリプリの白身にリモンをかけ頂きました!

【8月3日】

メキシコ市へ移動の日。

翌日4日にユナイテッド航空で日本行きを予定していた為、マルタより一日早くメキシコ市に戻ることになっていました。

朝7時にJoseMarti空港へ行き早めに待機していたにも拘わらずわたしの予約がリコンファームReconfirmされていないという理由で搭乗できず、メキシコへ戻れませんでした。一旦ホテルに戻りマルタに話すと今日はもうメキシコ行きの便がないという。仕方ないのでハバナ市内のメヒカーナ航空へ行き航空券を変更、メキシコ市の本社へ国際電話を入れると―

‘袖の下’でもなんでも飛行機にしがみついてでも乗って来なかったのか

―と当然ながら非常に怒られました。わたしも満席で席がないと言われ頭の中はまっ白でパニック‘袖の下’と言われても余分の持ち合せもなく全く思いつかなかったですし、挙句日本帰国便の航空券も使えず再購入、会社には大損させてしまったという結末です。

今現在リコンファーム(予約再確認)という作業は廃止されましたが、このキューバでの失敗をわたしの旅のモットー「命の次にパスポート」「e-ticket(航空券)」「お金は分けて多めに」という教訓に生かしているつもりです。

【8月4日】

ハバナ/メキシコMX5310便(臨時便)にてマルタと共にメキシコ市へ戻り、翌日8月5日メキシコ発UA838便にてサンフランシスコ経由8月6日成田空港に無事到着しました。

日本からの「呼びよせツアー」でご一緒だった方々には、復路が添乗員なしで一緒に帰国できず本当に申し訳なかったです。お客様の中には「島田さんキューバで大変だったようですが(共産圏から)ご無事で何よりです」と言って下さった方もいらして、改めて無事に帰国できたことに感謝しました。

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日本からキューバへ行く方法は、カナダ経由、メキシコ経由がありスペインや中国からも飛んでいるようです。

天気の良い日にはフロリダ半島のキ―ウエストKeyWestからキューバが臨める(約145km)という話を聞いたことがあります。

伊豆半島から大島(約25km)を臨むことができても東京から大島(約120km)は遠いですね。キューバはアメリカとは目と鼻の先なのに、日本からは遠いのだなとしみじみ思いました。

半島や島々の悲しい歴史はつきものですが、キューバはこれまでの経験から同じ轍を踏むことなく、大国に左右されず独自路線を保ちつつメキシコなど近隣諸国とも上手にやっていくのではないかと思います。

オバマ米大統領は4月14日、キューバに対するテロ支援国家指定を解除することを承認し、議会に通告した。米ホワイトハウスが明らかにした。順調にいけば45日後以降、1982年以来33年ぶりに解除される。その際には、キューバに対する経済援助禁止などの制裁も緩和される。(2015年4月15日朝日新聞より)

経済制裁から脱し国民が経済的に豊かになることは望みますが、できれば手つかずの自然や人々の素朴さはいつまでも残ってくれることを望みます。

将来日本からアメリカ経由キューバ行き最短ルートが開かれる日は近いことでしょう。

キューバ紀行その3(追記)に続く・・・