キューバ紀行その1

2015年4月11日キューバのラウル・カストロ国家評議会議長とアメリカ合衆国バラク・オバマ大統領が59年ぶりに首脳会談に臨みました。

同じ路線の社会主義国からすると手放しでは喜べないかもしれませんが、メキシコ関係の仕事で約30年やってきた私は、このニュースを聴いて雪解けのような感じがしてなんとなくホッとしています。

わたしが初めてキューバを訪れたのは1990年まだフィデル・カストロ・ルスFidelCastroLuz国家評議会議長が国家元首だった時代です。

1959年キューバ革命から56年が経ち、1990年に渡玖してから実に25年も経過したことになります。

キューバCuba「カリブの真珠」と呼ばれるカリブ海に浮かぶ美しい島で、スペイン語では「ク―バ」と発音します。因みに漢字表記は「玖馬」と書きます。

キューバ紀行を書く前に自分自身もキューバの歴史の復習です。

1492年 サン・クリストバル・デル・コロン(コロンブス)キューバ島に到着(12月27日)

1509年 ディエゴ・ベラスケス・デ・クエリャル、キューバ総督に任命

1868年 第一次独立戦争(10年戦争)開始

1895年 ホセ・マルティ、オリエンテのラプライータに上陸、第二次独立戦争開始(4月10日)

5月19日 マルティ戦死

1898年 米西戦争(2月)

1902年 独立、エストラーダ=パルマ政権発足(5月)

1903年 アメリカ、グァンタナモ湾を租借

1952年 バティスタ軍曹のクーデター(3月)

1953年 モンカダ兵営襲撃(7月26日)、モンカダ裁判(9月)

1955年 フィデル・カストロ恩赦、メキシコへ亡命

1956年 グランマ号でオリエンテ州に上陸(12月)7月26日運動、活動開始

1957年 革命幹部会による大統領官邸襲撃(3月)

1958年 反乱軍の最終攻勢始まる

1959年 バティスタ大統領亡命(1月1日)

2月17日フィデル・カストロ、首相に就任、革命政権成立(キューバ革命)

4月15日 フィデル・カストロ、ニューヨークへアメリカ政府に対する表敬訪問。アメリカ政府はアイゼンハウアー大統領がゴルフに出かけたとの理由で首脳会談を拒否

5月17日 農地改革法公布

1960年 アメリカ政府、キューバ砂糖輸入割当廃止の意向発表

2月4日 アナスタス・ミコヤンソ連副首相訪問、キューバ・ソ連通商条約調印

4月4日 ユナイテッド・フルーツ社有地が接収される

6月29日 テキサコ製油所介入

7月1日 エッソとロイヤル・ダッチ・シェルの製油所へ介入

7月2日 アメリカ政府、キューバ砂糖輸入割当制度を廃止

8月6日 アメリカ企業接収

1961年 アメリカと国交断絶(1月3日)

4月4日 傭兵軍航空機によるハバナなどへの航空施設爆撃。

4月16日 フィデル・カストロ、社会主義革命宣言

4月17日 反革命傭兵軍上陸事件(- 19日 ピッグズ湾事件)

4月25日 アメリカ、対キューバ全面的貿易封鎖発表

1962年 キューバ危機(10月15日)、ケネディ米大統領、対キューバ海上封鎖宣言(10月22日)

10月27日 オリエンテ州北部でU-2機撃墜

10月28日 フルシチョフ・ソ連首相、ミサイル撤去受け入れ

1963年 フィデル・カストロ、初のモスクワ訪問

1965年 キューバ共産党結成

1967年 フィデル・カストロ、チェ・ゲバラのボリビアでの死亡を発表

1975年 第一回共産党大会、アンゴラ派兵本格化

1976年

新憲法(現行憲法)制定

クバーナ航空455便爆破事件。傭兵軍のルイス・ポサダ・カリレス、乗客乗員73人全員を殺害

1977年 アメリカと利益代表部設置で合意

1981年 革命ニカラグアへ派遣した教師が暗殺

1983年 アメリカのグレナダ侵攻に抗議して派兵

1992年 憲法改正により、キューバを社会主義国家と定義。米国でトリチェリ法[5] 成立、ジョージ・H・ブッシュ大統領が署名

1993年 ドル所有の合法化

12月22日 フィデル・カストロの実の娘、アリナ・フェルナンデスがアメリカへ亡命

1995年 米・キューバ移民協議、難民問題でアメリカ政府と合意[6]

1996年 アメリカでヘルムズ=バートン法[7] 成立、クリントン大統領が署名

1998年 ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世のキューバ訪問

1999年 アメリカ、対キューバ経済制裁の一部緩和措置発表、エリアン少年事件

2000年 アメリカによる対キューバ経済制裁の一部緩和措置発表

2001年 アメリカからへの食糧購入開始

2002年 ジミー・カーター元アメリカ大統領キューバ訪問。憲法改正

2005年 米国務長官コンドリーザ・ライス、キューバを北朝鮮やイランと並ぶ「圧制の拠点」と発言し、打倒すべき独裁政権の一つにあげた。 キューバ航空機爆破、フィデル・カストロ暗殺未遂など親米テロの廉で逮捕され、保釈後ベネスエラへ逃亡していた傭兵軍のカリレス、アメリカへ亡命を求めて脱出するもマイアミで逮捕される

2008年

2月 フィデル・カストロ、国家評議会議長引退を発表

2月24日、ラウル・カストロが国家評議会議長に選出

2009年

6月 米州機構総会においてキューバの復帰が認められる。しかしキューバは復帰を拒否。

2011年 部分的に市場経済が導入される

2014年

12月18日、アメリカ合衆国との国交正常化交渉を開始すると発表

2015年4月11日、59年ぶりのアメリカ・キューバ首脳会談が行われる

(Wikipediaより抜粋)

キューバ紀行その2へ続く・・・