祇園祭と京都の夏

7月に入ると、京都は祇園祭の雰囲気を楽しもうという観光客が増える頃を迎えます。人が増えて賑やかになってきたよ、と京都の叔父が言っていました。

テレビでも、しきりと京の町中を映し、鉾の大車輪(私の背丈ほどある)を何人もの大人が運んでいました。

はて、わたしは小さい頃、祇園祭に行ったことがあるか?と父に尋ねましたら一度もなかったとのこと。

泊まるところは親戚の家があっても、伯父たちをはじめ皆が祇園祭の準備で多忙を極め、また我が家は母が教員で、夏休み前ですから私たちもあえて学校を休んで行くこともなく、祇園祭に行く機会を逃していました。

町中の人も多く大変な頃であるからまたいつかいらっしゃいと亡くなった祖父にも言われていましたが残念なことに未だに行っていません。

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祇園祭とは平安時代前期の869(貞観11)年、京で疫病が流行した際、広大な庭園だった神泉苑(中京区、本家近くです)に、当時の国の数にちなんで66本の鉾を立て、祇園の神(スサノオノミコトら)を迎えて災厄が取り除かれるよう祈ったことが始まりとされる。 応仁の乱(1467−77年)で祭りは途絶えたが、1500(明応9)年に町衆の手で再興された。以後、中国やペルシャ、ベルギーなどからもたらされたタペストリーなどを各山鉾に飾るようになった。これらの懸装品の豪華さゆえに、山鉾は「動く美術館」とも呼ばれる。江戸時代にも火災に見舞われたが、町衆の力によって祭りの伝統は現代まで守られている。現在、巡行に参加している鉾は9基、山は23基だ。(京都新聞より)

本家のある小川の家は岩戸山ですが、祖父が、お囃子で目立つからと先頭を行く長刀鉾に父を入れたそうです。父は長刀鉾で笛を吹いていました。

岩戸山京都市下京区新町通仏光寺下ル岩戸山町

 『古事記』『日本書紀』に記される「国生み」と「天の岩戸」の神話を故事にもつ、曳き山。「天の岩戸」は、素戔鳴尊の乱暴に天照大神が岩戸に隠れられたため、天地は常闇となり、八百万神は安の河原に集まって対策を練り、常世の国の尾鳴鳥を鳴かせ、鏡を鋳造し、500個の勾玉をつくり、天香山の榊を立て、天鈿女命が舞った伝承である。屋形内に、伊弉諾尊、天照大神、手力男命の3体の人形が飾られる。

鉾と山の違いは、車(大車輪)があり転がして曳くものが「鉾」で、車はなく担ぐものが「山」。山には「かき山」と「曳き山」があり、中でも「あと車」といって後に車が取り付けられて曳くようになった「曳き山」には「岩戸山」「北観音山」「南観音山」の3つがあるそうです。私も長年、岩戸山は車があるので鉾だと思っていましたが今回父から話を聞き初めて知った次第です。

シンボルとして「山」には松を立てていますが、長刀鉾には長刀、月鉾は月、船鉾は船の形をしていて見ている側も一目で何鉾かわかり楽しむことができます。

昔は17日の先の祭り(本祭り)と24日の後の祭りと巡行道順違えて分けていたそうですが現在は16日を宵山とし17日に盛大に一斉に行われるようになったとのことです。

その当時岩戸山は後の祭りの出番だったので賑やかさが少なくてちょっぴり寂しかったよと父が言っていました。

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数年前に京都の従兄の子がメキシコ留学でグアダラハラに滞在していました。チャパラの家へもよく訪れ留学生活をエンジョイしていたようです。

1年の留学期間を終える頃になると留学生のほとんどはメキシコ国内旅行をしたり近隣諸国を訪ねたりするものですが彼は「7月は祇園祭のお囃子があるから」と1年の留学期間きっかりを終えて日本に帰って行きました。

その話を聞いても京都の人たちにとって祇園祭がどんなに大切なものかよくわかります。リオのカーニバル然り、祭り魂とはこのことかと思いました。

♪コンチキチン♪鐘の音やお囃子の笛太鼓に懐かしさを感じます。

今年も間もなく祇園祭は宵山を迎えます。今回のカレンダーは16日(土)17日(日)が週末ですから一段と観光客が多く賑やかさを増すことでしょう。暑い暑い京都の夏ですが無病息災を願い、また親戚たちが無事に祇園祭を終えられることを願って。sol(7月14日)