東日本大震災から1カ月

3月11日(金)あの大地震、大津波、原発事故から1カ月が経ち名称も「東日本大震災」となりました。

直後には大きな余震の心配がないと発表されていながら有感地震が一日に20〜30回。新たに、今後も大きな地震に注意とのこと発表され私たちの不安はなかなか軽減されません。

そして福島原子力発電所事故での見えない敵(放射線の心配)や、それらから派生する人や魚介・野菜への影響は予想をはるかに超え甚大で物事がそれだけでは収まらないという天災の脅威、自然の大きさを思い知っている今日この頃です。

4月に入って夜11:00過ぎに震度5弱の大きな揺れがありました。寝入りばなでしたし、ようやく揺れが収まっても、沿岸にお住まいの方々は津波警報、それから起きて逃げるなど、一時も心休まる時間がなく本当に大変なことだと思います。

子供たちなど就寝中で一旦は揺れを感じて起きたもののまた眠り始め、慣れとはある意味怖いものだと知りました。

*—*—*—*—*

そんな中ですが、わたしたちの生活で変わったことは

◎地震の時どうでした?と会話が始まる。

◎常に揺れているのではないかという不安(慣れ)。

◎駅、電車、スーパーなどで電気が薄暗くても、エスカレータが止まっていても他の方法(階段)で十分足りることを知りました。

◎いつ大きな地震がきてライフラインが止まっても覚悟と準備ができてきた。

◎電気のある生活の有難味がわかった。

外出時は食糧と飲料、携帯電話充電器を携帯し帰路を想定し、仕事もできるだけ前倒しに、そして有事の際はお互いに仕方ないと判断できるようになりました。電車が止まってもイライラする人の姿はみかけませんしどんな時にもみな落ち着いて行動しているように思います。

最近、ご近所ではプロパンガスを購入する人が増えているようでガス屋さんの車を多く見かけるようになりました。

燃料の残量がわかれば何時止まるかわからない都市ガスより安心ですし、また使用料を調節(節約)するようになります。わたしも幼少の頃はプロパンガスの生活でしたから、プロパンガスの切れた時(何度もカチャッカチャまわしてみるが点火しない)の不便さはあるものの配達の時ゴロンゴロンと転がして持ってくるガス屋さんの姿を懐かしく思い出します。

便利な世の中になりましたが、結局は基本のこと(もの)があれば事が足りることを知った今回の大地震でした。

*—*—*—*—*

東北沿岸地域では家も財も家族も流され、またこれからどうやって生きてゆこうと途方に暮れている方々も多いと聞きます。またご家族を亡くされた心の悲しみや痛みは計り知れなく、地震・津波を経験した人でなければわからないことです。

しかし世の中に生きている人はみなそれぞれの苦悩や試練を抱えて生きています。

世の中には2種類の人間がいて、

できない理由を探す人間。

どうやったらできるかを考える人間。

の、二通りとのことです。

何か自分にできることがあるはず、今の自分には何ができるだろうか?と考え、それは寄付でもまたボランティアでも、とにかく自ら進んで行動に移した人が前に進む事ができるのではないかと思いました。

人間(ひと)の行うことですから、宇宙の年数や大きさに比べると微々たるもの日進月歩ですが、少しずつ歩んで行けたらと思います。

放射能汚染を心配して農作業を中断していましたが、この日本で生きていくのですからこの土地に感謝し、耕すことを再開しました。何をどのように植えようか…実もたわわに青々と葉っぱを茂らせした野菜たちを想像し、苗を見て歩くのが楽しみな毎日です。sol(4月18日)