祖父の思い出

祖父・西新之助は明治26年(1893年)1月生まれ(本当は12月生まれらしいのですが忙しい時期の生まれで昔のことですから祖祖父母が役所への出生届を忘れていたということを聞いたことがあります)典型的な亭主関白の夫婦でした。

満州で仕事をしていたこともあり物事を広く視る事ができる人だったと思います。また何をするにも祖父の意見が通り、姿勢がよく威厳のある祖父はわたしが物心ついたときには既に隠居生活で、静かな老後を送っていたようです。

学生時代にふらっと立ち寄り遊びにゆくと、大抵は新聞を広げて隅から隅まで目を通しその日のニュースについて語ってくれ、夕方からはテレビで相撲観戦といった具合にゆったりとした時間を一緒に過ごしたこともあります。

祖父の口癖は、満州でも橋梁工事に携わっていたそうで「川の近くに住むな」と「人様に迷惑をかけるな」「勉強はお荷物にならない」(しっかり勉強せよ!)でした。

それを今、わが子に祖父の言葉だった事として言い伝えています。

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宝くじの売り出しの季節になると

「てーちゃん、頼みがあるからちょっと寄ってくれ」

と電話がきて、決まって”西銀座宝くじセンター”で宝くじ100枚買ってくるようにとお使いを頼まれていました。最初は銀座に行く用事ができたことでワクワクして勇んで買いに行きましたが数回目だったか、すごい長蛇の列ができていてあとに用事があり時間がなかったので有楽町の駅ガード下で買って持って行ったことが何回かありました。

祖父は西銀座デパートの宝くじセンターで買ってきたとばかり思っていて「3万円では足りないのかな、なかなか当たらないなぁ」とぼやいて一時は年末ジャンボ宝くじにその倍の6万円分を頼まれたこともありました。

祖父をだましていたわけではなかったのですが、楽しみにしている姿を見ると言い出せずこれも祖父孝行かななんて勝手に解釈して過ごしていましたが今は本当に申し訳なかったなと思っています。

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祖父のかつての家は大きな掘り炬燵があり夏場は畳でふさがれていますが冬になると畳をはがして囲炉裏のような掘り炬燵がありました。大家族で団欒できたほどですから畳一枚分(一畳)のそれは大きな炬燵でした。

火鉢で火熾しした炭をくべるのは祖父の仕事でした。じっくりと時間をかけ火が炭に移ると白い煙が立ち昇ります。寒い中、祖父が火鉢越しにかがんで火熾ししている姿が、がたがたと音をたてる薄いガラスの窓越しに見えたものです。

現代では炭といえばバーベキューに使われるのが一般的ですが、その炭の煙の臭いを嗅ぐと今でも祖父の姿をを思い出します。

そんな祖父のことを偲んで今度の新しい家には掘り炬燵(電気)を取り入れてみました。我が家では畳で塞がずに、夏は足を下して、冬は電気炬燵で温まり、皆の団欒の場となっています。

祖父は20年前97歳で風邪をひき肺炎になりそのまま突然逝ってしまいついぞ謝ることができませんでした。死の直前自分で歩いてトイレに行きその後、息を引き取ったということ、人に迷惑をかけず逝ったことは実に祖父らしい最期だと思いました。

命日は平成2年1月24日で「とげぬき地蔵尊の大祭の日」だったということで祖母はとげぬき地蔵尊に感謝しお礼参りに行っていました。

わがやの炬燵に足を入れそのたびに祖父のことを思い出し「あのときはごめんなさい」という供養の気持ちで使わせてもらっています。sol(5月10日)