京都のお爺ちゃん

先日仕事で久しぶりに京都へ行き、気になっていたご先祖さまのお墓参りを済ませちょっとほっとしているところです。

伯父伯母、叔父伯母たち(全部で6名)とも近況や子供の成長ぶりなど色々な話をする機会を持つことができとても充実した滞在でした。

中でも長兄の大伯父からは島田家先祖代々のことなどを初めて聞き学ぶことが多かったです。そんな大伯父の話し方が亡くなった祖父とそっくりだったものですから、今日は、祖父のことを懐かしく思い出して書いてみようと思います。

*—*—*—*—*

中学校の卒業式を終えた春休みに初めて京都へ一人旅に出してもらいました。

新横浜駅から新幹線ひかり号に乗車したときには東京からの乗客でもうすでに満席で、見送ってくれた母が車掌さんに「女の子一人旅で京都までなんです、宜しくお願いします」と頼んでくれたのですが途中駅ということもあり乗車時間も短くあっという間に出発の時刻、

京都旅行は家族で何度も行っているし、新幹線も慣れているから大丈夫!と自分に言い聞かせたもののなんだか心細くなって涙ぐんでしまいました。

名古屋到着前にはぽちぽち空席ができ座ることができほっとしたのも束の間、すぐに京都に到着「ホーム一番後ろ車両に乗車」と母から連絡を受けた叔母が京都駅ホームに迎えに出てくれていて今度は安堵感から嬉し涙がぽろぽろと・・・全く女の子というのは涙もろくていけませんね。

京都では当時大学生だった従兄弟連中の兄的存在のたかちゃんが清水寺など京都観光案内してくれたり、叔母が従姉妹たちと太秦映画村へ連れて行ってくれたり、そして最後は祖父と伯母と3人で二条城の桜を見に行きました。このときの桜はそれは見事だったと、今でも伯母が懐かしそうに言っています。

▼二条の家を出て角を曲がると二条城東南隅櫓が見えます。

20090306-blog1.jpg

*—*—*—*—*

京都の祖父・島田眞二郎は明治33年(1900年)3月24日生まれ、祖母・千代が亡き後男手ひとつで男の子4人を育て上げたのでした。

男兄弟4人だった父たちは悪戯すると祖父の紋章上絵の仕事で使っている「物差し」が飛んできてそれがまたよく命中するんだ、と父がよく言っていました。

あるお正月、わたしたち従兄姉妹が炬燵で花札遊びに興じていたところ祖父が部屋に入ってきて「花札は家でやるもんとちがうゥ」といきなり取上げられてびっくりしたことがあります。いつもはニコニコ穏やかな祖父なのにこのように叱る時には厳しく言われたものです。

また、わたしはよく国内旅行先や海外から手紙を送っていたのですが、長崎からの葉書だったでしょうか―

「いつもお便りありがとうさん。けれどこの葉書は大き過ぎて定形外らしいにゃ、受け取った方は嬉しいけれど送り主は自分の知らんとこで迷惑かかっとるときもある。気いつけやぁ。」

と、柔らかな京都弁で諭すように話してくれました。

このとき初めて、葉書は定形外になると50円→70円(当時)となり、また料金不足になると受取り手が支払うことになるということを学びました。

わたしたち孫にも厳しさを忘れない祖父でした。

祖父はおしゃれでいわゆる粋な男性だったようでカメラ帽子のコレクションが趣味でした。父たちが幼少の頃70〜50年前の昔の写真がビロードの表紙のアルバムにきちんと整理され残されています。

父・島田正治もそんな祖父の影響か帽子選びにはこだわりを持っていて、外出には帽子は必ず被って行きます。

隠居後は裏庭で育てた瓢箪に色づけして孫達にプレゼントしてくれたり広告を切り取って貼り付けたり、長年の仕事の習慣から引退後も机に向かわずにはいられなかったそうで、訪れるたびにだんだん小さくなってゆくそんな祖父の背中は今でも忘れられません。

*—*—*—*—*

往路は一人旅でしたが帰りに祖父を連れて帰るという役割があったことを思い出しました。つづきはまた次回に。sol(3月5日)