家族でメキシコ旅行?サンアントニオ村

やっとの思いで辿り付いたチャパラの家。あんなにロスや機内でぐったりしていた子供なのに数時間寝て颯爽と起きてベッドから出て一人で遊び始めていました。

時刻は夜中2:00(日本時間朝11:00)。

体内時計が出来上がっている子供は自然に目が覚めてしまうらしく、行動し始め夜中にハサミを持ってチョキチョキ折り紙を切って工作しています。暗い中活動始めるのでこちらも気が気でなかったですが適当にライトをつけて寝ることにして家の中ですからまいいかと1人で遊ばせておきました。遊び疲れるとまたベッドに戻っているというサイクルでそれが日を追うごとに現地の時間に合わせ生活することが出来るようになっていきました。子供って適応能力あるのですね。

翌朝はもう父の畑の手伝いで庭で元気に走り回っていました。それはもう広々としていて芝が綺麗に手入れしてあり庭師の犬Cmpionと一緒に走り回り、木々は青々とし、日本では木に成っているグレープフルーツやオレンジ、バナナなどなかなか見られるものではありませんよね。

▼鍬をもってメシじじちゃん(メキシコのおじいちゃん)

の農作業のお手伝い。手前は花が咲き終わったナスの苗

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▼バナナの成り方にびっくり!

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バナナは太い茎ごと切り落して家の中に下げておくといずれ黄色くなり

(上だったか下だったか忘れましたが)順番に熟してゆき、冷凍にしたりバナナジュースにしたりと食べ方はバリエーション豊か。チキータバナナで子供が自分でもいで食べるのには丁度良いサイズのおやつでした。

▼実もたわわアボカドAguacateも鈴生り

(ご近所のチェパさん宅)

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この写真は両親がチャパラに住み始めた頃から懇意にさせていただいている元郵便局留めのチェパさんのお宅の中庭です。ずっしりとしたアボカドマンゴーが実もたわわに成っていました。

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海抜1500mのチャパラ湖畔は年間を通して比較的温暖で冷暖房器具は必要なく暮らすことができカナダやアメリカからのリタイヤされた人たち向けの家具つきコンドミニアムなどの物件も多く充実しています。赤十字病院もあります。

当然、庭や家の手入れ、タクシーやレストランなどは村の人々の仕事となるわけで、英語やフランス語ができなくても村の人たちはコロニーの中でのんびりと庭の手入れをしたり農作業したり働いています。

そんな土地柄だったからこそ両親が20年以上も住むことができ、温かく受け入れ接してくれた村の人々のおかげでやってこれたことに、今本当に感謝しています。

湖畔を散歩中も村の中でも

「オラ!チマダ、コモエスタス?」と色々な人たちが声をかけて挨拶してくれました。

都度父は「えっとね、あれはどこの誰だったかな・・・」メキシコ人はみな同じ顔に見えるので相手の名前を間違えないように結構気を使うのだとのことです。(つづく)

▼チャパラ湖・サンアントニオ村周辺を描く百点より

島田正治作品サイズ33.5×44.5cm

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家族でメキシコ旅行?グアダラハラへ!

子供が3歳の夏休みに家族でメキシコ旅行しました。

その前年には中国返還前の英領香港旅行(3泊4日)に行き、その後1年間メキシコ旅行をイメージして慣らしてきましたから用意周到に準備を進めてきました。

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今回の旅行目的は子供もまだ小さいですし夫も初めてのメキシコということであれこれ日程を盛り沢山にはせず日常の忙しさを忘れて「チャパラの両親の家でゆっくり過ごす」ことにしました。いわゆる航空券だけの手配(エアオン)です。

シンガポール航空に勤める知人にロサンゼルスまでのチケットを3席確保してもらい、そしてアエロメヒコに勤める元同僚にL.A.からグアダラハラまでの3席を押さえてもらいました。

夏休みのこの時期は料金もさることながら3席を確保することのほうが結構大変で、8月末の料金が下がり始めた頃に出発することにし、グアナファトでの知人の展覧会を観ること、9月16日のメキシコ独立記念日の雰囲気を味わうために9月中頃を帰国日と設定しました。

当時の夫の会社は外資系サマーバケーションは自分の仕事次第で日程が申請でき3週間いただくことができ全てをメキシコ旅行に充てることができました。

子供はいつ熱を出したり怪我したりすることも考えられるので航空券発券もぎりぎりまで待ってもらい万が一のキャンセルに備え子供にも保育園にもメキシコ旅行のことは黙って準備しました。そしていよいよ夏休みの前日「明日からメキシコ行ってきます!」と伝えたところ子供も先生方も「ええっ、メキシコ??遠いですね」と本当にびっくりされました。あとで考えたら「里帰りしてきます〜」と言ったほうがショックが少なくてよかったかな、なんて思いました。当の本人(子供)も訳がわからないまま連れて来られたという感じだったことでしょう。

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シンガポール航空SQ012便は当時最新鋭の機材を誇るメガトップという機種で機内もスチュワーデスさんもそれは綺麗で快適でした。

子供は離陸のときから怖いと言うでもなく窓に張り付いてずっと夕焼けの雲海(茜色の夕景)を眺めていたうしろ姿が印象的でしたが果たしてそのときの”雲の絨毯”今でも憶えているのでしょうか?

成田発18:00搭乗後すぐに夕食が出ると思って期待していたのですが待てども夕食サービスが始まらずようやく出てきたのが21時。ウイダーinゼリーは子供の為の非常食用に持って搭乗したのですがみなお腹ぺこぺこで子供はぐずりながらウイダーも飲まずに寝てしまって可哀想なことしました。機内食の回数はチェック済みだったのですが、これは誤算でした。

ロサンゼルス到着前には日本時間真夜中2:00に揺り起こされ朝食が出されましたが朦朧としていて食べたのか憶えていないほどです。もちろん子供は夢の中でせっかくのチャイルドミールだったのに結局2食とも食べられませんでした、もったいない、そして残念。

ロスではグアダラハラまでのアエロメヒコ便まで乗り継ぎ時間が6時間ありましたが3人ともみな寝不足でフラフラでこういうときにスリに遭ったり置忘れしたりするのだろうな、なんてことを考えボーっとしながら南国サロンのような雰囲気のデルタ航空の棟である待合室でウトウトして過ごしました。

こんなんでしたからロサンゼルスの大きな空港内も次のアエロメヒコにどのようにして搭乗したのか機内食の味も記憶もほとんど覚えていません。

グアダラハラ国際空港では荷物検査のランプが「青」でチェックを受けることもなく通関、3人とも無事に到着しチャパラの両親が迎えに来てくれていて顔を見た途端に安心し「よかったあ〜」と足の力が抜け思わず母の腕にしがみつき涙流したことだけ鮮明に憶えています。

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同じルートでの旅行は出張でも何度も経験していたはずなのに、機内では騒ぐことこそなかったけれど子供のトイレに気を使い、空港では免税店で欲しいものを見て歩いたりすることもなく、荷物も3倍だったり、家族がいるとこうも大きく違うものかと痛感したメキシコ旅行の始まりでした。

▼水を湛えた風光明媚なチャパラ湖El Lago de Chapala

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このときの水量は少なくこの後枯渇寸前にまでなって住民の方々は心配したそうですが、2008年今現在は水量が増し自然が戻り鳥も観光客も増え再び賑やかになり湖畔の各村々が活性化してきたということです。

▼サンアントニオ村・チャパラ湖周辺を描く百点より

島田正治作品サイズ33.5x44.5

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作品ご希望の方はアルテシマダまでご連絡ください。

トマトの思い出

五月晴れの天気のよい日にミニトマトの苗を植えました。

苗木が、気温の上昇、恵の雨でぐんぐん伸び葉も青々し花が次々と咲き、いつの間にか青い実をつけていました。それが日を追うごとに増えて各段に5つずつ緑色のトマトが鈴生りに成っています。本当に可愛らしくて食べるのもったいない気がします。

水遣りをしていた娘が

「あっ、青いトマトの実が取れちゃった!」

と言って持ってきたのは小さいながらもはちきれんばかりの青々した実でした。きっと可愛くて触ってみたくなったのでしょう。

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青いトマトというと、大阪の伯母の家のことを思い出します。

小さい頃は夏休みになると父の故郷の京都、大阪や兵庫県の竹野へ家族でよく行っていました。

「大阪のおばさん」と呼んでいたのは父の母方の伯母の嫁ぎ先の大阪の家のことで、家業でおこし屋さんを営んでいました。「おこし」といえば「雷おこし」が有名ですが大阪の「粟おこし」も名物だったようです。粟(あわ)を砂糖で固めたお菓子で、これが堅くて虫歯が多くてみそっぱだったわたしにはちょっと厳しいものがあり、おやつに出されても食べずにカバンに入れていたら暑さで包装紙ごとベトベトになっていた・・・今思うとなんて伯母不幸していたか・・・反省します。

少し歩くと大阪のシンボル通天閣タワーが大きくそびえる場所におこし工場と家があり、庭先に積んであるメタリックグレーの一斗缶(おこしの缶または砂糖の缶だったかも、しれません)と、ぷーんと甘い砂糖の焦げた香りが「大阪のおばさん」の家の匂いでした。

通天閣を眩しく見上げ暑かった大阪と、「Always三丁目の夕日」映画の中の東京タワーとダブって感じたものです。ノスタルジーでしょうか。

私たちが泊めて貰っていた二階の部屋の窓越しの欄干では、植木鉢にトマト、ナスなどの夏野菜たちが実もたわわになっていてそれがちょうど目線の高さに置いてあり、日に日に育ってゆく実を見ることができました。

伯父が仕事で忙しい中、寝ている私たちに気遣いながらも、そーっと毎朝早くから水遣りをしていた姿と「サーッ」というジョーロの水音は、大阪の蒸し暑さを一時忘れるような爽やかな音でホッとしたこと今でも鮮明に憶えています。

その頃はミニトマトがなかった時代で、苗木にはふっくらとした大きなトマトが青々して成っていてそれが日を追う毎に赤味を帯びてくるのを見る楽しみや、ナスは艶々していて、水遣りのあとは更に水々しく濃い紫色が朝日で光っていたのが印象的で

「トマトって可愛い名前だね。

上から読んでもトマト、

下から読んでもトマト。」

この歌が自然に口から出てくるような光景でした。

「大阪のおばさん」の家は大家族だったのでそれらの野菜たちが食卓に供されたかどうかは憶えていないのですが、砂糖の匂いと、夏野菜の光景が合わさって、暑い暑い夏の思い出のひとコマとなっています。

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そして、青トマトといえばメキシコのTomatillo赤トマトJitomateと並んでメキシコ料理に欠かせない食材です。市場やスーパーでは青トマトと赤トマトが山積みされキロ単位で売られています。

その昔グアナファトで、お遣いで市場に野菜を買いに行き指差して「トマト下さい」と言うと、青トマトか赤トマトか?と聞かれ種類があるのを知らずにいたところ、何に使うのか?と更に聞かれて、それも聞きそびれていたので大変困ったことがありました。そのとき頼まれたのは赤トマトJitomateだったのですがこのときトマト=Jitomateという単語を覚えました。

(今現在、自分の子供にお遣いを頼む時には「何に使うのか」を伝え、品切れ等でなかった場合は自分で代用を考え買い物してきてもらうよう心掛けています。)

(ハーブティーに次いで)この市場でもたくさんの種類のトマトがあることを初めて知りました。当時、日本にはイタリアントマトもなければミニトマトも見たことありませんでしたからそれはもう驚きでした。

メキシコのトマトは日本のものと比べると水気が少なくて淡白、スライスしてステーキの付け合せなどで供されますがドレッシングなしではちょっと味気ないものです。

それがお料理やサルサになると、シラントロ(香草)や酸味が加わり抜群の美味しさに生まれ変わるようです。

▼Tomatilloベースのサルサベルデ

酸味が強いのでお肉料理に、スープのアクセントに!

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▼赤トマトベースのサルサロハ

サルサメヒカーナでタコスのサルサに!

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ぜひ一度お試しくださいね!!

そうそう、このブログを書いていたら、友人のYokoさんより美味しそうな真っ赤な横浜トマトが箱ごと送られてきたのでびっくり!以心伝心でしょうか。

ところで、このトマト大きくて立派で、甘くて本当に美味しいのです。

「トマトは野菜か果物か?」

みなさんはご存知ですか?

こんなに甘いと、これは果物でょう、と錯覚しますが裁判にまでなった挙句に「野菜」と定義づけられたということです。sol(6月6日)