金平糖

父の故郷は京都の小川二条ということろで泊まりで行く時には京都駅からタクシーで「小川二条下る、お願いします」と言うとそれだけで行き先はわかり京都ってすごいところだなと思ったものです。ちょっと歩いて通りの角まで出ると二条城の東南隅櫓を仰ぐことができます。

二条城一周は徒歩約30分ほどで、家業を継いでいる3番目の叔父の朝の愛犬ジョン散歩コースで、泊まりに行っているときには毎朝お供させてもらっていました。ジョンは黒光りした短い毛並みにぐりぐりした目が印象的な中型犬でわたしにとっては怖い犬でしたが散歩となると話は別でわたしに吠えるのではなく他の犬に対して吠えるのでなんとかご一緒できた次第です。

父の生家は家業の紋章上絵(着物に紋を書き入れる仕事)を継承している築100年の京町家で、ジョンはその鰻の寝床の丁度真ん中あたりの土間にいて、私が泊まっているといつもと違う人間の匂いがわかるらしく、トイレに入っている時もお風呂を頂いている時も夜でも、いつもウオーン、ワンワンワンワンと吠えられていたものです。

わたしも怖かったけれどジョンもまたよそ者の私が怖かったのでしょうね。

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そんな京都に嫁いだ父の母、祖母の島田千代(おちよはんと呼ばれていました。父が高校生の時に亡くなったそうで写真でしか見た事はありませんが)の故郷は兵庫県・竹野町日本海の切り浜で、幼少時代は海水浴を兼ねてよく家族で泊まりに行きました。父もまた幼少の頃、夏休みになると子供だけで預けられ貴重な時を過ごしたと話してくれたことがあります。

いつか冬に訪れたときには海は黒々して波は荒く夏とは違ったその姿に

これが日本海そしてこの海の先に大陸があるんだななどと子供心に思ったこと覚えています。

泊まりに行った時には、祖母の実家である増田家・花子おばさんのお宅に泊めてもらいお世話になっていました。鉄道の駅舎の前で撮った写真が今でも手元にあり、その別れ際に金平糖を渡してくれ、食感はざらっとするけれどお口の中で徐々に溶け出していつまでも甘い甘い、初めて食べたその味が今でも忘れられません。

▼おひな祭りの金平糖

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その思い出からか、金平糖が売っているとつい、買いたくなります。

花子おばさん(おはなはん)の家では、黒々と磨き上げられた木造の離れに寝泊りし、ぎぎぎーっと屋根裏を開けて入っていくところに寝床を敷いてもらいました。そこでは蚊帳が使われており蚊帳のそとを、それまで点いていた明りを頼りにやってきた虫がブンブンとかブーンと蚊が飛ぶ音が聞こえたり、また外は真っ暗で一度目が覚めたが最後、子供心に怖くて眠れなかった思い出があります。

昨年、父の従姉妹の方からその昔、祖母が京都に嫁いだあと京都で着物を仕立て竹野の実家に贈ったという着物が、母を経てわたしのところへ廻ってきまして頂戴することになりました。

わたしも成人式に始まりお茶会等で京都着物を仕立て帯を見立ててもらったりと数点持ってはおりますが、頂いたその着物は絣、羽織りは絞り染めで、それらを受け取った時、とても古いものだけれど品があり伯母や祖母の思いが伝わってくるような感じがしました。

会った事はないけれど、20代の頃にお茶会で着物を着付けてもらって出際に父が「お千代はんにそっくりや」と言ったので、後でその時の着物姿の自分の写真をしげしげと眺め「ふ〜ん、似てるのかしらん」と祖母がどんなひとだったのか想像してみたりしました。

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先日娘が「昔の道具」について調べるという社会科の宿題をしていて母方の祖母が生きていたら昔使っていた道具の話が聞けたのに、と9年前に亡くなったきくおばあちゃんにもう一度会ってお話を聞いてみたい!なんて言っていました。わたしもふと、もしお千代おばあさんに会うことができたら竹野や京都の昔の話を聞いてみたいものだなと思いました。

貴重な着物と思い出、わたしも知っている限りを娘に語り伝え、金平糖や蚊帳の思い出とともに大切にしていきたいと思っています。

sol(3月3日)おひな祭りの日に。