ポソレ

◎メキシコでポソレ!食べました!

「ポソレ」ご存知ですか?

豚肉とジャンボコーンのスープ、千切りレタス入り、です。

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美味し〜いんですよ。でもそのポソレ屋さん何というお店だったかな?と旅行記の手帳を見ましたらなんと記入していない!そんなこんなしていましたらメキシコ情報誌「セッテン」に掲載されていましたのでご紹介することができました。

お店の名前は「LOS TOLUCOS」もちろん私が発見したわけでなく、メキシコ市在住の友人Miyukitaさんが連れて行ってくれました。

Miyukitaさんはだいぶ以前から、メキシコに来たら「ポソレ屋さん行こう!行こう!」とよく言っていましたが、それを今回ようやく実現することができました。

「ポソレ」発祥はゲレロ州のお料理だそうですが現在はメキシコ全国で味わうことができます。素朴な素焼きのスープ皿がとてもマッチしていて、こんなに美味しかったっけ?というほど美味しく、舌鼓を打って頂くことができました。(みなさまご馳走様でした!)

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メキシコでの「ポソレ」の思い出はミチョワカンのモレリアだったか、地方都市に滞在した際、メキシコ人家族が夜店に連れて行ってくれ屋台でフ〜フ〜いいながら美味しい美味しいと食べた記憶があり、とにかくトウモロコシが大好きな人にとってはたまらない味です。

日本に帰国後、作ってみよう思ったのですが当時はジャンボコーンが売っていなかったので(豚肉ではなく鶏肉と思っていたので)チキンスープに缶コーンを入れて千切りレタスかけてみましたが美味しくない、ぜ〜んぜん違う味で、再現することができませんでした。

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現地のものは現地で味わうのが一番!なんですね。こればかりは作り方を伺うことはせずに日本での再現は今回もあきらめて、次回メキシコ旅行の楽しみにとっておくことにします。sol(1月24日)

20070122-blog3.jpg    20070122-blog4.jpg    20070122-blog5.jpg ディエゴリベラの作品のような絵が飾られていました。

「いそがない」「おこらない」

チャパラだより367号はもうお読みいただけましたでしょうか?

「いそがない」「おこらない」はメキシコの人たちに本当に当てはまる言葉です。

先日もホームギャラリーにいらしたお客様と、メキシコの人たちについての話になりました。

「メキシコ人って、だいたい約束の時間に遅れてくるわよね。」

「ランチ一緒にしましょうと12:00に約束すると現れるのはだいたい1:00。だからレストランの予約はいつも1時間遅くすることにしているの。」

「メキシコの人たちと待ち合わせする時には屋外は不向き。1時間は待てる場所カフェとかでなきゃ、ね。」

「午後行きます=3:00〜6:00のあいだという場合が多い」

「時間が迫ってハラハラドキドキしますが、もうギリギリ〜というときにちゃんと現れるのがメキシコの人」

というのが総合的なみなさんのお話の内容です。うんうんと頷かれていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。

実際にはエアポートへは飛行機の時間などには間に合うよう送ってくれますし、また到着時には、たとえ飛行機が何時間遅れようとも「問題ない」と気長に待っていてくれるのがメキシコ人。

わたしがメキシコを発つ朝も飛行機が2時間〜5時間遅れと聞いて、メキシコ人家族にも私を空港まで送っていく都合もあるだろうに「大丈夫」と言って時間に送り届けてくれました。

日本で約束の時間を大幅に遅れるということはNGではありますが、あちらメキシコでは1時間は10分のようなものと言えばお分かりいただけるでしょうか「時間の流れがゆっくりしている」んです。10分と考えれば約束の時間に遅れても許容範囲に思えてきます。

わたしも今回メキシコに触れ

「Dondequera que fueres, haz como vieras」(郷に入っては郷に従え)と自分自身に言い聞かせ行動しましたら、不思議なもので心も体も、何があっても動じない自分になっていました。国土が日本の5.5倍と広いことも影響しているように思います。

「約束の時間を守る」大切なことです。しかし何事も「問題ない」と言って相手を受け入れる(許す)ことができる大きな心を皆が持っているまた現在の日本人に欠けつつある「家族を大切にする」メキシコの人たちを見習いたいと思った旅でした。sol(2007年1月12日) 

年賀状の話

振り返ると、小学校の時にもよく木版画を彫って摺っていました。

木版画かレタリングでデザインしたものか忘れましたが自分の年賀状作品が図工の教科書に掲載されたのがとても嬉しかった記憶があります。小学校・中学校時代の美術の先生には恵まれまして、いろいろな描き方、技法を習ったり経験したと思います。

エッチングもよかったですが木版画の木のぬくもりと、摺りあがったときのインクの載り具合が、わたしは大好きです。

版画は自分が描こうとしている「イメージした絵」の部分と、凹凸の凹みを彫ったあとの「予想外の模様」となって浮き出てくるところが面白いなといつも感じます。それも色を置くインクの載せ具合によっても感じが変ってくるのがいいです。

不思議なもので、これは小学校時代に木版画で年賀状を彫っていたときにも同様に感じていたことで、昨年から木版画を始めてあらためて思い出した感覚です。

子どもが小学生になり自分の小学校時代はどうだったけな?なんてふと思い出してみることも多くなった今日この頃です。

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木版画を摺っていると思い出すのは、同じクラスだったよっちゃんこと吉村君です。年賀状で木版画を彫り毎年その出来具合で競って制作していました。

それも中学生になってからも続いていましたが、私のほうは木版画を彫るのが面倒になり、お互い忙しくなってしまったのもあり、やめてしまいました。(ごめんなさい)

小さなはがき一枚の中にそのときの想いを凝縮させて、制作していました。吉村君の作品で印象的だったのは、歌舞伎の3色(白・茶・深緑)で仕上げた年賀状です。小学生なのになんていいセンスしているんだろう!と感じたのを今でも覚えています。

そんなことを思い出しながら、今となっては競うほどのものはできませんので、お正月が過ぎた今日もまた楽しんで摺っているといったところです。sol(2007年1月10日)

年賀状の話

今年も年賀状木版画を摺りたくなったもう1つの理由があります。

秋に小町谷新子さんから「お芋で年賀状」という出版された本を父宛に送って下さいました。

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拝見しましたら、自分で彫ってみたくなる魔法にかかってしまいそうなそれはそれは素敵な本です。

小町谷新子さんは父・島田正治の尊敬する作家瀧井孝作さんの娘さんで、以前にも本は何冊か読んだことがありましたが、その作品と文章から「お母さん」のようなあたたかさを感じていました。

今回の「お芋で年賀状」は”今年はどのような年賀状を彫ろうか”と思っていた時でもあったので、毎日毎日本を開いて見ては、自分にもできるだろうか?お芋はあまり時間が経ってしまってはダメなんだよね・・・あれこれ考えていても仕方ないので行動に移してみようと思い、さつま芋を手に取ってみては切って彫ってみよう!何度も思いました。

ところが下絵のアイデアはあるものの彫ってみる勇気が出ないのです。切るのがもったいない〜というのではなく(でも一理あります)集中して時間のとれない私には今回のお年賀状での芋版画は不向き、木版画で充分なのだ!と結論を出し、お正月らしい椿の花などの下絵をあきらめ、グアテマラ旅行の思い出「ケッツアル鳥」を彫ることに決めたのでした。

お正月が明けた今日もまたせっせと時間を見つけては、木版画を摺って乾くのを待って、書いて、投函、しています。子供たちは「とり年でないのになんで”鳥”なの―?」と言いますが、わたしにとって版画は自分を表現する一年に一回の楽しみなのです。

本書で小町谷新子さん曰く

「芋を縦に切った面を使うことを知ったとき、私は目から鱗が落ちるとはこのことだと思いました」

「要は楽しんで物作りをすることだと思います。」

わたしもいつかは芋版画にトライしよう、多分わたしの想像を上回るような楽しそうな未知の創作の世界、そのときのために今から下絵のスケッチをしておこうと思っています。

sol(2007年1月9日)

京都のお正月

今朝、義母とおせち料理の準備でお台所に立っていましたら、

「てるひさんのお家のお正月はどんな風に過ごしていたの?」と聞かれまして、思い返しましたら父と母がメキシコに住み始めたりで家族水入らずで迎えたお正月は正味20年ほどです。

父がメキシコに住み始めた頃だったかと思いますが、夜の11:00過ぎるのを待って国際電話をします。あの頃はまだ国際電話代は安くはなくて話す用件をメモして手っ取り早く済ませるというような時代でした。

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まだ京都の祖父が生きていた頃、何度か京都でお正月を迎えたことがあります。島田正治京都市中京区の出身です。

京都の冬は関東の寒さとは違い、底冷えのする寒さです。

大晦日のメニューは決まってすき焼きで、家内工業もあってか作るのは昔から男性の仕事なのだそうです。(着物に紋を描く仕事、紋章上絵師です)

叔父が(普段から料理もしている、とても奥さん思いの叔父です)上手に鉄鍋に脂身を回して割下を作り材料を入れていくその手馴れた姿がとても記憶に残っています。そんな名残もあり我が家(島田の家)でもすき焼きを作るのは決まって父の仕事でしたね。

夕食後凍てつくような冷たい空気の中、夜中12時に向けて八坂神社をけら参りに出かけます。八坂神社で紐の線香に火をもらって、回しながら火を絶やさないように家まで持ち帰り台所の種火とするとよい新年が迎えられるということで、とはいいつつも、とても寒いので途中、お店に入っては甘酒を頂いたり、素うどんを食べたり暖をとりながら帰宅の途につきます。お店ではそのお線香の火を絶やさないよう店の入り口あたりに置く場所を提供してくれます。

寒い寒い京都は「おこた」(足炬燵)がなければ寝られないほど。叔母が銘々のお布団に「おこた」を入れて温めておいてくれていました。

お正月は祖父を囲み厳粛な雰囲気でした。銘々の卓が用意され、朱色が美しい漆器に白味噌に丸餅のお雑煮です。関東のお雑煮と違い、あまりに上品な美味しさにカルチャーショックだったのでしょうか、なぜなのか、これ以外のお料理は覚えていないんです。

(京都では客人があるときには料亭から仕出しをとる(届けてもらう)のも一般的ですが(料亭の味を自宅で愉しめるなんてとても贅沢ですよね!)お雑煮は叔母製だったかと思います。)

叔父や従妹が勢ぞろいしたのでお年玉もたくさん頂けましたし、従妹達たちと一同に会し、はしゃぎ、それは格別楽しかった京都のお正月でした。

京都というところは1年中伝統行事があり、大晦日までもとても大事に過ごすのですね。

そう、だいぶ大きくなってからのお正月ですが、花札で遊んでいましたら祖父が「そんなもん家でするもんとちがう」とエライ剣幕で怒られたのを思い出しました。祖父はまがったことが大嫌いな厳しい人でした。。。

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先日ホームステイしたメキシコ人家族が「日本はメキシコと違って、クリスマスが少しでお正月をとても大切にするのよね」と言っていましたが本当にその通りで、日本は各家庭なりのお正月の過ごし方がそれぞれにあります。

来年そのメキシコ人ご家族が来日するのですが日本のお正月を、我が家なりのお正月で、もてなしてあげたいと思っています。

今日我が家でもそんなお正月の京都を思い出し、久しぶりにすき焼きを作って頂きました。sol(2007年1月3日)

モルカヘテ

メキシコで初めてMorcajeteを頂きました!

メキシコ人ファミリーが夕食に連れて行ってくれました。

何が食べたい?と聞かれそれはもう「メキシコ料理、タコス、タコス!」とリクエストしました。「いつもはVips(メキシコのファミリーレストラン)なんだけれど、今日はどこにしようか」と携帯電話での家族会議が始りました。メキシコではファミリー同士は通話無料なのだそうでよく頻繁に通話しています。

夜7:30ごろ行先が決まり、出発です。タコスレストラン「LA SIFONES」。約20年ぶりに会う一緒にティオティワカンにピクニックに行ったことのあるLuis夫妻もBMWで合流し、5人でテーブルを囲みました。見るところ家族連れも多く、大人数で食べるほうが美味しいみたいです。

次々に注文パストールワカモーレ、そしてモルカへーテ・・・どこかで聞いたことあるなと思っていましたら、熱した3本足の石臼でグツグツ煮込んだメキシコ特有の料理です。ノパールセボジータ鶏肉チレ・ベルデがグツグツ言っているところを四角く切ったあったかトルティーヤにくるんで食べます。

ルイスミゲル「Mexico en la Piel」という歌の中にも

De piedras morcajetes

La vorcanes nevados

El Popo Iztachihuatl

El amantes postrados

とメキシコならではの風物が歌われています。

いつも口ずさんでいた歌で「Morcajete」って何だろうと常々思っていたので今回目の前のテーブルに出てきたときには探していたものに出会ったという感じでしょうか―本当に感動しました。

メキシコを初めて訪れてから30年。メキシコに旅行したり関わっていたのに今まで何で食べる機会がなかったのだろう・・・初めて頂く味は格別でした。

みなさんは食べたことありますか?メキシコに行かれたらぜひトライしてみてくださいね。

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sol(2007年1月1日元旦)