グアテマラでマクドナルド

アンティグアでマクドナルドに入りました。

グアテマラシティから車で約1時間、旧首都のアンティグアに行きました。

1917〜1918年にかけてのグアテマラ大地震でアンティグアが壊滅、現在のグアテマラシティに遷都したということです。アンティグア市内には当時の瓦礫のままの建物もまだ残されています。

はるか遠くには、地震国であることの象徴である煙を出している活火山を望むことができました。

▼写真左側の火山から煙

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▼市内を囲むように四方に見える活火山の山々

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アンティグア観光中、お昼ご飯にはまだ早いが喉は乾いたのでちょっと休憩することにしました。そういえば以前もこんな中庭のレストランに入った記憶があるなあ、と両親が言うので入って見ましたら、そこは「マクドナルド」でした。人間って不思議なもので意識していなくても自分の好みのお店や足の向く方向ってだいたい決まっているようです。

手入れの行き届いた中庭、奥には子供用プレイランドもありユニフォームもサービスも万国共通です。ではランチを済ませようということになり

BIgMacセット28ケツァル(約450円)

Macnificaセット28ケツァル(約450円)

Polloセット36ケツァル(約580円)

「母がマックシェイクがいいわ」というので聞きましたら「マックシェイク」という言葉は通じなくて、「飲むアイスクリームはありますか?」と尋ねましたら「聞いたことありますが当店にはありません」とのこと、残念ですがCafe con Leche(あたたかいコーヒー牛乳)を注文しました。

わたしは日本のメニューにはないMacnificaセットを注文しましたがソースの味がちょっと変っている、オーストラリア牛でなくアルゼンチン牛を使用、といったところでお値段も味も大きさも日本とほとんど同じなのには驚きました。

日本に帰国後、「マックに入るならもっと美味しいファストフード店があるんですよ!」と友人に教えてもらいました。(○○Polloというチキンバーガーおすすめのお店、名前控え忘れましたので聞いておきます)次回はそこに行くことにしましょう。

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そういえば、アンティグアで出会った日本人の方がスペイン語マンツーマンクラスを1週間単位から受講、日本人は〜一ヶ月受講するけれど、欧米人は1週間受講してそのまま南米大陸を南下してゆくのが一般的なのだとか。「ではまたどこかでお会いしましょう」と挨拶してお別れしました、彼らももう南米大陸探検に出発している頃でしょうか。

sol(12月31日)

グアテマラで中国料理

グアテマラに来ると1食は中国料理を食べると言う両親。

ホテルから2ブロック先の「悦来」を目指して歩いて行ったのですが閉店していて向いのネオンが煌いている「来来」に入りました。駐車しているのはベンツやBMWの高級車ばかりです。美人の中国人オーナーが入口で迎えてくれました。

メニューは中国語とスペイン語で書かれていましたが、中国語の漢字のほうが理解しやすかったです。各自好みのものをそれぞれに、海老そば、カニ豆腐スープ、焼売、白ご飯を注文し、最後に「ザー菜はありますか?」と「搾菜」漢字で書いて聞いてみますと女性オーナーが白ネギと炒め物にして供してくれ、父はご飯と一緒に美味しい美味しいと言って食べていました。

白ご飯とお漬物のような感じで、人間なければ無いなりに代わりのもので味わって頂いて満足することができるものです。父はメキシコに行き始めて40年になりますがこのように工夫したり、お米の炊き方も失敗から学び、今では日本食材も増えたので自炊しても不自由しないとのことです。

海老そばの麺が極細でポソポソしていたのですが、日本に帰国後、香港料理を頂きましたら同様な麺でしたので広東風だったのだなと思いました。

中国人2世の老夫婦のお誕生日パーティーらしく、入った時には空席が目立っていたのに見る間に満席になり賑やかな中国料理の円卓を囲んでの宴会場となりました。周りを見渡しますとグアテマラ人の家族がお粥を食べていたり、中国人若者二人がしゃぶしゃぶ鍋をしていました。ご当地では中国料理は庶民の台所のようなのですね。sol(12月28日)

グアテマラで気づいたこと

グアテマラ旅行中気がついたこと。

旅行していると、昔の仕事(旅行代理店)の影響で、飛行機の機種、空港内を探索して歩いたり、ホテルのグレードや対応、アメニティグッズ、そしてレストランに入れば値段やサービスなどを、ついついチェックしてしまうクセがぬけません。

その昔グアテマラ旅行手配で利用していたホテルや「Clark Tours」のミニバンをみかけてお客様の送迎なんだなぁと懐かしく感じ、旅行会社勤務時代に一度は訪れておくべきだったと思いましたが、こうして訪れる事ができて今は感無量です。

そんな自分の行動について振り返りっていましたら、ふと父がそれはそれはとてもリラックスしているのに気がつきました。日本でも見られないような島田正治別の素顔と言ったらいいでしょうか。

旅行するとあちらこちら貪欲に見て回りたいと思うのが人間です。

ところが両親二人は旅行中、寝ている・食べる・NHKBSを観ている、のいずれかで、とてもくつろいでいる様子です。グアテマラ15回以上の渡航歴で「残るはマヤ文明のティカル遺跡!」ということらしいですから無理もないです。レセプションでティカル遺跡のベストシーズンを尋ねていました(因みに1月2月とのことです)。

父は私たち女性陣が買物をしている間も何時間もベンチに座り文句ひとつ言わずに待っていてくれました。ゆっくりとした時間の流れの心地よいグアテマラの空気というか雰囲気を満喫しているような感じです。

そうなんです、父が絵を描いていないんです。メキシコに暮らしている両親はグアテマラへは休暇旅行で、画の道具も持ってきていないとのこと、なるほどくつろいでいる訳です。こんな旅も個人旅行だからこそできる事で、そう経験できることではなく贅沢極まりないことで「これはこれでまた楽し」と思えるようになりました。

絵を描くことは想像以上に大変な仕事で、画業も、どんな仕事も同様ですが「仕事を離れたら何もしない」180度転換のくつろぐことの大切さ、父が常々言っている「無理はせぬこと」を実践しているのです。

メキシコ滞在の為のツーリストカード更新のためだけでなくこの中米の小さな国の何ともいえない居心地よさが、彼らがグアテマラを何度も訪れている所以なのだなと、その気持ちがわかる気がした旅でした。

そんな魅力的なグアテマラは民芸品の宝庫とコーヒー、そして癒しの国なのかもしれません。sol(12月28日)

グアテマラで本場のコーヒー

グアテマラといえば民芸品の宝庫そして美味しいコーヒーです。日本ではサントリーの「レインボーマウンテン」ブランドが有名ですよね。デパートコーヒー売場でもグアテマラ豆は高級品で知られています。

どこでいただいてもスペシャルの味なのですが、お値段は決して安くはないような気がしました。グアテマラでおしゃれなスタンドコーヒーショップ「LEON」でのCafe de olla(素焼きのカップに甘いシナモン入りコーヒー)や袋で購入するコーヒー豆など日本のスターバックス並といっても過言ではありません。

▼普通のコーヒー一杯6ケツァル(約100円)Cafe de Ollaは12ケツァル(約200円)

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▼風に揺れている赤々としたコーヒーの実

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グアテマラのお話

憧れのグアテマラに到着しました!

入国審査を終えて外の廊下を歩いてゆくと右手にホテルのカウンターがありSR.SHIMADAと掲げられたプレートを持った両親とは顔なじみの運転手さんが出迎えてくれました。

グアテマラシティは「ちょっと埃っぽくてこの季節にしては風が冷たく感じない」というのが第一印象です。聞きますと「常春の国」風はやや強いもののマフラーをしている人は見かけませんし、町を歩いている人も素足にサンダル姿、木々の葉も青々しています。気温は17、18度ほどでしょうか。

改修中の小さな空港をあとにし、右手にサッカースタジアムを見ながら市内へ向いました。

街灯の下にはビール会社Cerveza「Gallo」の広告の入ったペナントとクリスマスリースの飾りが付けられ、市街中心部にはツリーの搭が立っていました。ヨーロッパのクリスマスは知っていますがあたたかい季節のクリスマスは生まれて初めてです。

ホテルHaward Jhonsonは両親の常宿で、到着するとレセプションの人が父からの挿絵入りFAXを見せて「あなたからのFAXは絵が描いてあるのですぐにわかりますよ。ようこそグアテマラへ!」と言ってくれました。

ホテルは改装工事中ですが、部屋は広々していて4ベッドルーム、テレビ付き(日本のNHKBSが観られると父も喜んでいました)熱いシャワーもたっぷり出るので快適、フロントではインターネット閲覧もできます。メヒカーナ航空のVTP(ホテルと航空券)などには加盟していないようですが素泊まりにはお勧めです。

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夕食はホテル内レストランで。以前は一般のお客様もいたそうですが現在はホテルのお客様のみに限定され落ちついて食事をすることができます。アルコール飲料はホテルオーナーのポリシーで取扱いしていないそうなので酔っぱらった方は見かけませんでした。

アスパラのポタージュとステーキ(揚げバナナとフリホール、ワカモレ添え)すぐ隣にキッチンがあったので熱々が頂けて美味しかったです。

翌朝、レストランに行くとボーイさんが「おはようございます、昨晩のお料理は私が作ったのですがお味はいかがでしたか?お気に召しましたか?」と声をかけられました。それだけでアミーゴで家庭的、気持ちがくつろぎますよね。

お腹が重そうでちょっと足の悪いボーイさんなのですがメモせず注文を取り(忘れた時には何度でも聞きに来るんですが)テーブルごとにお話したりしていて、ああプロフェショナルな仕事をしているなと思い、こちらまで心が和みました。sol(12月26日)

グアテマラのお話

◎憧れのグアテマラに行ってきました!

搭乗ゲート変更があり慌てて乗り込んだMX385便でしたが、大柄の方も多いのできつきつの満席状態。やれやれと思うのも束の間ランチが出てきました。

そういえば、両親は12:00頃メキシコシティ空港に着くなりお腹が減ったとファストフードのコーナーで寿司(カルフォルニアロールのカニ味)と焼きそばを注文し2人で食べていました。ここのイートインはシナモンロールの「シナボン」、ダンキンドーナツ、寿司中華などバラエティあふれるものを各お店で注文し、好きなテーブルで食べることができます。

わたしはというと機内食「ランチ」が出る、と日本のメヒカーナ航空でチェック済みでしたのでそれを美味しくいただくために、焼きそばはお味見程度に控えておきました(いわゆる、中華料理の平たい麺の焼きそばでした)。

メキシコシティを出発後ほどなくしてランチタイムです。まず飲み物のサービス、そして食事が配られました。何だろう・・・と開けてみましたら「ペンネ」、サラダ、クッキーそしてコーヒー。メキシコの航空会社の味付けにしては薄味で、ハーブが利いているような利いていないような・・・要するにあまり日本人好みの味ではなかったということです。量も少ないので「ランチ」ではなく「ライトミール(軽食)」でした。

両親は、何となく機内食が物足りなかったのを記憶していたのでしょう、それで搭乗前に腹ごなしをしていたわけです。。。

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上空から見る光景はアメリカの黄土色の大地とは違い、眼下はこげ茶色の山々が続いています。

メキシコシティを飛び立ってから約1時間が過ぎたころ、急旋回が始りました。お隣の男性はまだパソコン作業を続けています。到着まであと30分あるのでまだ着陸はしないだろうな、と思っていましたら急旋回が4回、そして急降下が2、3回あって、そのまま着陸してしまいました。あれよあれよという間の出来事で今まで経験したことのない、信じられない瞬間でした。車なら100キロ以上出して急ブレーキ、って感じです、あの感覚は車を運転する方でしたらおわかりになるのではー。お隣さんはノートパソコンを閉じて前の座席のポケットに納めていました(え〜っつ、そんなので大丈夫なんですか??)

確かに小さい空港や盆地にある空港では旋回しながら離着陸することがあると、昔オアハカの空港でも経験したことがありますし、聞いたこともありますが、今回のグアテマラは格別すごかったです。

そういえば

バンクーバーからメキシコシティに到着する時に、トイレで○ー○ー言っているメキシコ人が結構いらっしゃいましたが、こんなにすごい(荒い)操縦に比べたらJALのジャンボジェットの安定した飛行の何で酔うのか、不思議に思えました。

着陸するとすぐに乗客が立ち上がって降りる準備です。あんなにすごい操縦、みなさん慣れているんですね、酔っている人はいないし、両親も、何てことはない「メヒカーナ航空やアエロメヒコ航空はいつもこんなよ。」と平気で、さすがメキシコに暮らして20年、慣れとはおそろしいものです。

わたしは帰国後、上記のフライト着陸時のことを「このまま落っこちて死ぬかと思った」と友人達に話ししています。sol(12月22日)

メキシコ空港のお話?

先日メキシコシティ空港にては「ゲート変更にはご注意を」というお話をしました。

もうひとつ気づいたのは、ホイールチェア(車椅子)で航空機を乗り降りする乗客が多いということです。

よく見てみますと出口まではご自身で歩いて出てくる、そして用意されていた車椅子にすんなり座って移動するといったパターンです。予めの予約されているのでしょう、各ゲート到着時刻と必要な乗客人数に合わせて係員が待機しています。

係員の大抵が若い男性職員でホイールチェア乗客のセニョーラたちの手を取り椅子に座らせ、会話しながら長い廊下を歩いていました。

(ただいま動く長い歩道の建設が進みつつあるようですが)

これだけたくさんの人が国内・国際線で移動し車椅子を利用している光景は初めて見たように思います。そう、京都もご年配の方々にはたくさんの配慮がされていて旅行でも行き易い都市ですよね。

確かにメキシコ人は母親や家族をとても大切にする習慣があり、今回の光景を目の当たりにし、人にやさしい国なのだなと思い、心があたたまるのを感じました。

若い頃には見えなかったメキシコの一面を垣間見ました。sol(12月21日)

メキシコ空港のお話

メキシコシティ・ベニトファレス国際空港は、メキシコ初のインディオ出身の大統領の名前から命名されました。

現在は拡張工事もほぼ終了段階で横長に広がり、日本航空は一番奥の棟にカウンターが設置されています。日本からバンクーバーを経由し到着したときにも、長いフライトの末ひたすら長い廊下を入国審査まで歩きました。グアテマラから入国した際に、また歩くのか〜と思っていましたところ「あれに乗りましょう」とメキシコ人のご婦人が私達に声をかけてくれ無料のカートで入国審査まで移動できラッキーでした。

因みに無料カートはハンディキャップのある方、妊娠中の方、老人向け、ということで両親も老夫婦に見えたので、声がかかったというわけですね。お声をかけてくださったご婦人はメヒカーナ航空の地上勤務なのだとか、なるほど良くご存知で。

グアテマラ行きのメヒカーナ航空385便は19ゲートに1時間前という指示がありました。どうも航空機も見えませんし(直感というか)心配になりアナウンスがあったわけでなくこちらからお尋ねしましたところ、出発30分前に32ゲートに変更とのこと、これまた長い廊下を小走りに急ぎました。

結構離れていましたよ、その距離200〜300mあったかもしれません。32ゲートに着いたときには搭乗が始っていました。私たち同様、19ゲートから移動してきた人も多かったはずなのに、出発時刻はほぼ定刻どおり。みなさまもご経験済みでしょう、なんてことはない、よくある話なのだそうですから、飛行機に乗るまでがひと苦労です。

最後に日本航空JAL011便は航空機が前日到着している便ですのでゲート変更はないだろうと思っていましたら、やはり42ゲート前に航空機が見えません。周りを見渡してみましたら隣の隣にJALの尾翼が見えるではありませんか。出発案内掲示板にて確認し変更の39ゲート前に着きましたら搭乗が始まるところでした。

搭乗口を変更して出発が定刻から遅れたり、乗客が乗り遅れたり、アナウンスし直したり余計な手間かけないほうがいいような気もするのですが、慣習というか名残なのか、まぁ郷に入っては郷に従えということでこの際あまり深く考えず、出発案内掲示板は要チェックし「搭乗ゲートは必ず変更あり」という法則?に注意しましょう。sol(12月19日)

▼ゲート前に航空機が着いているかチェック!(アエロメヒコ航空)

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ウルトラマンの父

去る11月29日「ウルトラマン」シリーズで知られる映画監督の実相寺昭雄(じっそうじあきお)氏が亡くなられました。

実相寺さんは「ウルトラマン」「ウルトラセブン」そして「帝都物語」など数々のテレビや映画作品を残されていますが、ハワイ日系移民を題材にした映画「波の盆」の題字で島田正治を起用していただき、その映画撮影現場や記念パーティーに家族で招待していただいたりしていました。主演は今は亡き笠知衆さんでした。(小津安二郎監督映画には欠かせない、原節子さんとよく共演されていた、そうおじいちゃん役の、俳優さんです。京都の祖父とそっくりでした!)

撮影現場は、俳優さんやスタッフ、たくさんの方々で活気にあふれていて、わくわくしたのを記憶しています。

そんな実相寺さんですが、わたくしたち夫婦のお仲人をして頂きました作家の故鈴木明氏(本名は「明夫」さんとおっしゃって実相寺さんと同じお名前です。ノンフィクション作家 1929年10月28日東京都生まれ TBSの放送専門誌「調査情報」編集長から作家に。著書に「リリーマルレーンを聴いたことがありますか」「維新前夜」など多数。)とはTBS時代に一緒にお仕事をされていた仲で、夫の話によりますと「ウルトラマンは僕らが作ったんだよ、体操の”ウルトラC”はかっこいいからそこからアイデアをもらった。「ウルトラマン」の名前を付けるときには本当に苦労したよ」と誕生秘話をいつも夫に話していたそうです。それだけ当時の制作スタッフの方々の思い入れのある作品だったのでしょう。

わたしたちの幼少のころから、そして現在も、我が家の5歳の甥っ子はウルトラマンのお人形を両手に、怪獣と戦いごっこをしています。子供達に永く愛されている「ウルトラマン」、今ごろは実相寺さんと鈴木さんで「ウルトラマン」談義に花を咲かせていらっしゃるころでしょう。

この場をお借りしてお二人のご冥福をお祈り申し上げます。

sol(12月4日)