ラ・カシータ

◎思い出のメキシコ料理ラ・カシータに行ってきました。

週末のランチタイムともあって店内はお客様でいっぱい!でした。

通されたのは「思い出」のテーブルでした。なぜかいつもこの席なんです。遡ること15年前・・・まだ独身時代のお話です。

知人からお誕生日にフラワーブーケをもらったのでお返しにメキシコ料理をご馳走することにしました。夕食の約束をしていたので予約を入れて「ラ・カシータ」へ、オーナーシェフ渡辺さんがテーブルまで挨拶しに来てくれました。

「これはチチャロン、サービスですよ、どうぞ。」とニコニコして出してくれました。

だいぶ後になってそのときの男性と縁あって結婚したことを報告しましたら

「やっぱりねぇ・・・いい雰囲気でしたからね〜」と言われてしまいました。わたしはまだまだ全く結婚するつもりもなかった時だったのですが。。。そのときの思い出の席が今日の席なんです。

そんな鋭い勘の持ち主渡辺さん「チレ」メキシコ民芸品の話に花を咲かせ、やがてまた混んできたのでお店をあとにしました。

(ランチメニューのエンチラーダをいただきましたがお腹がすいていたものですから急いで食べた為写真撮り忘れました、すみません)

▼オーナーシェフ渡辺庸生氏のオリジナルデザート

大人気の「セノーテcenote」アロス・コン・レーチェも美味しいですがセノーテもぜひお試しあれ!

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レシピはいずれお料理本にて公開とのことです。

▼ラ・カシータのお店

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東急東横線・代官山駅下車(03-3496-1850)徒歩3分です。

トルティーヤプレスで手作りタコスの場合は250℃〜400℃とできるだけ高い温度で焼いたほうが美味しいとのことアドバイスいただきました。

モルカヘテ

メキシコで初めてMorcajeteを頂きました!

メキシコ人ファミリーが夕食に連れて行ってくれました。

何が食べたい?と聞かれそれはもう「メキシコ料理、タコス、タコス!」とリクエストしました。「いつもはVips(メキシコのファミリーレストラン)なんだけれど、今日はどこにしようか」と携帯電話での家族会議が始りました。メキシコではファミリー同士は通話無料なのだそうでよく頻繁に通話しています。

夜7:30ごろ行先が決まり、出発です。タコスレストラン「LA SIFONES」。約20年ぶりに会う一緒にティオティワカンにピクニックに行ったことのあるLuis夫妻もBMWで合流し、5人でテーブルを囲みました。見るところ家族連れも多く、大人数で食べるほうが美味しいみたいです。

次々に注文パストールワカモーレ、そしてモルカへーテ・・・どこかで聞いたことあるなと思っていましたら、熱した3本足の石臼でグツグツ煮込んだメキシコ特有の料理です。ノパールセボジータ鶏肉チレ・ベルデがグツグツ言っているところを四角く切ったあったかトルティーヤにくるんで食べます。

ルイスミゲル「Mexico en la Piel」という歌の中にも

De piedras morcajetes

La vorcanes nevados

El Popo Iztachihuatl

El amantes postrados

とメキシコならではの風物が歌われています。

いつも口ずさんでいた歌で「Morcajete」って何だろうと常々思っていたので今回目の前のテーブルに出てきたときには探していたものに出会ったという感じでしょうか―本当に感動しました。

メキシコを初めて訪れてから30年。メキシコに旅行したり関わっていたのに今まで何で食べる機会がなかったのだろう・・・初めて頂く味は格別でした。

みなさんは食べたことありますか?メキシコに行かれたらぜひトライしてみてくださいね。

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sol(2007年1月1日元旦)

ウルトラマンの父

去る11月29日「ウルトラマン」シリーズで知られる映画監督の実相寺昭雄(じっそうじあきお)氏が亡くなられました。

実相寺さんは「ウルトラマン」「ウルトラセブン」そして「帝都物語」など数々のテレビや映画作品を残されていますが、ハワイ日系移民を題材にした映画「波の盆」の題字で島田正治を起用していただき、その映画撮影現場や記念パーティーに家族で招待していただいたりしていました。主演は今は亡き笠知衆さんでした。(小津安二郎監督映画には欠かせない、原節子さんとよく共演されていた、そうおじいちゃん役の、俳優さんです。京都の祖父とそっくりでした!)

撮影現場は、俳優さんやスタッフ、たくさんの方々で活気にあふれていて、わくわくしたのを記憶しています。

そんな実相寺さんですが、わたくしたち夫婦のお仲人をして頂きました作家の故鈴木明氏(本名は「明夫」さんとおっしゃって実相寺さんと同じお名前です。ノンフィクション作家 1929年10月28日東京都生まれ TBSの放送専門誌「調査情報」編集長から作家に。著書に「リリーマルレーンを聴いたことがありますか」「維新前夜」など多数。)とはTBS時代に一緒にお仕事をされていた仲で、夫の話によりますと「ウルトラマンは僕らが作ったんだよ、体操の”ウルトラC”はかっこいいからそこからアイデアをもらった。「ウルトラマン」の名前を付けるときには本当に苦労したよ」と誕生秘話をいつも夫に話していたそうです。それだけ当時の制作スタッフの方々の思い入れのある作品だったのでしょう。

わたしたちの幼少のころから、そして現在も、我が家の5歳の甥っ子はウルトラマンのお人形を両手に、怪獣と戦いごっこをしています。子供達に永く愛されている「ウルトラマン」、今ごろは実相寺さんと鈴木さんで「ウルトラマン」談義に花を咲かせていらっしゃるころでしょう。

この場をお借りしてお二人のご冥福をお祈り申し上げます。

sol(12月4日)

シリアルの話

◎今我が家で人気なのが、こちらフルーツグラノーラです。

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コーンフレークを朝食にいただきますと、どうもお昼ご飯までもたない・・・なんてこと、ご経験された方も多いと思います。わたくしも小学校時代に「ケロッグで簡単朝食・栄養満点」ということで食べていた時代がありましたがお給食までもたなかったです。かといって1箱全部食べれば満腹か?というと飽きがきて食べられません。

ところが、このシリアル・フルーツグラノーラを食べ始めましたら、シリアルに対するイメージが180度変わりました。

なぜ昼食まで持続するのか?

普通にお皿に一杯のシリアルと牛乳で、多少やわらかくはなりますがオコシのようなシリアルの固まりがあることと、数種類のフルーツやシードが入っていることで咀嚼回数が多くなり、噛めばかむほど脳が満腹感を感じ、お腹が一杯になるということです。

よって早食いの人ほど咀嚼回数が少なく、満腹感を感じることができず肥満になる傾向があります。このシリアルは噛んで時間をかけて食べなければならず、でも美味しいので、またきっと食べたくなります。おやつにもおすすめです。

素材は、

4つのドライフルーツ:リンゴ・パパイヤ・レーズン・イチゴ

3つのナッツ&シード:かぼちゃの種・ココナッツ・アーモンド

4つの穀物:小麦ふすま・オーツ麦・玄米・ライ麦

おすすめの食べ方:

?牛乳+フルーツグラノーラ(ココナッツが苦手な方はチョコワなど他のコーンフレークとミックスすると中和されて食べ易くなります)

?ヨーグルト+フルーツグラノーラ

?アイスクリーム+フルーツグラノーラ

わたくしがこのシリアルを知ったのは3年前、メキシコから来日していたグアナファト在住のパチェコさんが手作りのシリアルだといってお土産にくださったのが最初の出会いでした。いただいたビニル袋の中から一つまみ食べましたら「穀物」というものを新鮮に感じ「穀物」そのものの味が美味しいな〜と思った事を覚えています。

そういえばメキシコ・カンクンのホテルで朝食バイキングには必ず並んでいて外国人の女性がみなミルクと一緒に摂っていたな、ということを今さらながら思い出したのでした。

みなさまどうぞお試しあれ!!sol(7月5日)

ハルとナツ、ブラジル移民の話

先日NHK放送80周年記念スペシャル番組「ハルとナツ・届かなかった手紙」が再放送されました。前回はなぜか観ることができなかったのですが今回は子供たちと一緒に観る機会をもつことができました。

というのも、ブラジル移民がわが家にとって深い関わりがあることを子供たちにも知っておいてほしかったからです。

ブラジル・サンパウロに転勤になるというセニョーラAngelesに、祖父の妹一家が移民で行っているので探してほしいとお願いしていたところ

古い住所を頼りに探し出してくれたのが、18年前。そのころメキシコ観光に勤務していた関係でツ二ブラトラベルというブラジル系旅行会社とのつながりもあり、そんなときに偶然知人のMiyokoさんにも移民で行っているお姉さんがいらしてそのご一家がツ二ブラトラベルイグアス駐在だということが判り、はるか遠いブラジルまで、わたしと姉、Miyokoさんの3人でそれぞれの親戚に会いにブラジル旅行することになりました。

90歳を過ぎた祖父も無理だとわかっていながらお医者様を伴ってでも会いに行きたいとダダをこねていましたが、わたくしと姉で会いに行くことにしました。

1989年夏休みのことです。

成田/ロサンゼルス/サンパウロと長い長いフライトの末、未だ見ぬ親戚たちが手書きのネームプレートを掲げてサンパウロ空港で出迎えてくれました。不思議なもので出迎えている日系人はたくさんいる中で親戚の顔は一目でわかりました。一族の待っている家で愛子おばあさんに会いましたがこれまた祖父にそっくりだったので再会のようで、また皆さん日本の西一族に顔立ちが似ていて血のつながりを感じました。

何を話しても涙涙で、涙なしでは語れない本当に大変なご苦労をされたのがひしひしと伝わってきました。日本の緑茶を、みなで少しずついただきましたが味も香りも色も薄れ、それでも日本のお茶だと懐かしんで飲んでいらっしゃるみなさんを思うと涙が止まりませんでした。

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昭和5年(1930年)ごろ、わたくしの母方の祖父・西新之助、その妹・多田愛子さんは婚家の北海道の一家とともにブラジル・サンパウロ州へ移民、移民船は神戸港から出発し、そのとき見送りに行った長女の共枝伯母さんは小学校入るかはいらないかの頃だったけれども幼いながらに船内見学し紙テープで見送ったということを覚えていると、わたくしに話してくれたことがあります。

移民船はサントス港に到着、消毒後、列車にて植民地へ移動。大歓迎されるのかと思っていたら、まるで捕虜を乗せた護送車のようだったと、サントス港でキン子伯母さんがレールの跡を見ながら説明してくれました。また、種は持ち込み禁止だったので帽子の内側に縫い付けて持っていった移民もいたということでした。

ブラジル旅行中、アントニオ伯父さんが運転する車でサントス港までドライブに行きました。サントスサッカー場を通り過ぎ、港のカフェではそれはそれは濃くて甘いカフェ(ブラジルコーヒー)を何杯も飲んだのを覚えています。サントスを見ずしてブラジル移民のことは語れないのだと思いました。帰路にはシュラスコをお腹いっぱい食べてサンパウロ市に戻りました。車の中でも思い出話は尽きませんでした。。。

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それから何年かして、帰りたくても帰れないと言っていた移民の親戚達が「出稼ぎ」で故郷へ帰国の夢を果たし、会いに来てくれたときには祖父は帰らぬ人となっていました。ブラジルと日本の伯母達が集まりみなでお墓参りに行ったのがついこの間のことのようです。

でも、祖国日本を一度でも見たから、やはり「ブラジルのほうがいい」といってみなブラジルに帰っていきました。今では年賀状を出すだけになってしまいましたが手紙は届いているのでしょうか。日本語を忘れてしまったから代筆してもらっていると言って手紙をくれていた萩原キン子・高倉スエ伯母さん、そしてファミリーが今でも元気で暮らしていることを祈ります。ドラマでは妹ナツが姉ハルを訪ねてブラジルで暮らすことになりますが、それほどブラジルは、家族や土地を大事に暮らしていて人間味があって良い所なのでしょうね。これはブラジルに行かれたことがある方でしたらお分かりになると思います。

日本が戦争で負けたということを認められないダメオヤジ的な高倉家の父には憤りを感じましたが、最後まで大地と家族を大事に思ってきた父の違う角度からの捉え方をしている「このドラマすごいな」と思い、考えさせられました。人には色々な面(長所短所)があるけれど、それよりも最終的には自分の生き方を通したほうが、より人間らしく生きた甲斐があるのでは―と思ったのです。

大地を大事にしてきた人が一番幸せなのかもしれません。貧しくても、ある程度の身の丈にあった暮らしの中で家族とともに生きていくというのは、非常に大切なことだと考えていますと橋田寿賀子さんがおっしゃっています、心にしみる言葉だなと思いました。

先日のことですが、姉がわたしの誕生日に何かほしい物ない?とメールしてきました。ところが、考えても考えても欲しい物が見当たらないのです。年とともに物欲もなくなってたのでしょうか。物よりも、家族が毎日健康で過ごせること、そして何よりも家族が一緒にいられて過ごす時間と絆が大事だと思う、今日このごろなのです。夫の両親も、遠く離れてメキシコで暮らしている両親も勿論、大事です。

(よくよく考えた末に、お財布が古くなっていたので一回り大きなお財布をプレゼントしてもらいました)

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今回ドラマを観ていて、ほとんど実話に基づいていて、またわが家の親戚にも「高倉」という姓の伯母もいましたから他人事には思えませんでした。多田一家はコーヒー農園(ファゼンダ)の後、クリーニング店を営んでいたと聞きました。でも現実には更にもっともっと大変なご苦労があったようです。

ああそうだった、こんなこともあったという話をブラジルの伯母達から聞きましたし、祖父が生前愛子おばあさんからの色褪せた手紙をみせてくれたこと等、いろいろなことが走馬灯のように思い出されました。15年前の旅行の記憶ですら曖昧なのですから、ましてや約70年前遠い親戚がブラジル移民で行っていたことを、風化させぬよう、ブラジル旅行の写真をみせながら子供たちに移民の話をしていかなければと思っているところです。

sol(4月6日)

【ブラジル移民メモ】

日本人のブラジル移民は、1908年(明治41年)の「笠戸丸」から始まった。サンパウロのコーヒー農園が労働力不足に悩んでいたこと、1907年の協定により日本人のアメリカ移民が難しくなったことが相まって開始された。その数は1908年から戦前が19万人、戦後は5万人。ピークは1925年〜36年の昭和初期であり、ドラマ内の家族の移住も1934年(昭和9年)の設定にしている。

 その9割が、コーヒー農園の契約労働者で、低賃金であった。ほとんどは、金をため故郷に錦を飾りたいという出稼ぎ移民で、それがかなわず永住が定着するのは戦後だった。西日本出身者が多く、12歳以上を最低3人含む家族移民が基本だったので、女性も多かった。また、サンパウロ州の中部・北部のコーヒー農園での数年を経て、1920年代後半からは、北西部やパラナ州などへ移動、綿作などの独立農となるケースが多かった。サンパウロ州最奥地に、幾百もの日系集団地を築いた。1937年ブラジル政府により、日本語による学校教育、日本語新聞の発行、日本語の集会が禁じられ、日米開戦後、規制はさらに強まった。戦後、日本の勝敗をめぐって、いわゆる「勝ち組」「負け組」という日本人同士の対立があった。

 現在、ブラジルの日系人は140万人ともいわれるが、8割以上が都市に住み、ほとんどが中産階級となっている。(NHK公式サイトより)

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のど自慢メキシコ大会

のど自慢メキシコ大会11月6日(日)NHK放送!

先日10月28日にメキシコシティにて予選が行われ、翌日29日に本選、出場者が決定しました!わたくしの知人・友人も出るとのこと、また日本サイドにても「来週はメキシコ大会、知ってる?しかも特番!」と多数問合せございましたので、みなさまにお知らせ申しあげます。わたくしの大好きなルイスミの歌とか聴けるかなぁ〜とワクワク楽しみに!しています(でも日本の番組なのでメキシコ人が日本語の歌唄ったりするみたいです)。

頑張れ〜(って、もう収録終わっていますね)。14番目に出演の友人は「何の曲、歌うの?」「ひ・み・つ」お手製の横断幕もぜひ観てください、とのことです。映るといいですね!さて栄冠は誰の手に!?

ちょっと、思い出話です。―もう25年ほど前のことです(いえ、もっと前かもしれません)我が家に初めてホームステイしたメキシコ人が、グアナファトから陶芸を学びに日本留学されていたパチェコ氏でした。到着早々玄関から靴のまま上ってきたりお風呂でアワアワ・バスタイムして栓を抜く、ご飯にマヨネーズ・・・そんな楽しい思い出をたくさん残して留学先の笠間へと旅立っていきました。そして日本滞在中のある日のことです―

ご記憶にある方は、そういらっしゃらないと思いますが、

当時パチェコ氏がよく口ずさんで歌っていたメキシコの歌を聞いて「歌がとてもうまい!」ということで推薦され、のど自慢に出演、熱演賞をもらったんです。歌った曲は「ベサメ・ムーチョ」トリオ・ロス・パンチョスが歌い大ヒットしたコンスエロ・ベラスケスの名曲です。その後、某ヘッドホンのメーカーのCM出演依頼、そのコマーシャルは、超ビッグサイズのクロワッサンを食べて食べて、食べていくと・・・中からヘッドホンが出現する・・・というものなんですが、覚えてますか?ソニーだったか、パナソニックだったかナ?

メキシコ・グアナファトに滞在時にはセニョーラとともにいつも、とてもお世話になったパチェコ氏。昨年、父の展覧会で来日されたときにはお元気な笑顔でお会いしましたが、いつかまた、あの歌声をまた聴くことができる日を楽しみにしています。

みなさん、お見逃しなく!sol(10月30日)

1985年のメキシコ地震

みなさま

!Feliz Ano Nuevo!

あけましておめでとうございます。

今年もアート&メキシコをたくさんお伝えできるよう

続けてまいりますのでどうぞよろしくお願い致します。

sol(2005年1月9日)

●黒沼ユリ子さんより

1月9日(日)本日の深夜

11時20分からのNHKアーカイブスという番組で20年前の

メキシコ大地震を取材したNHK特集「緊急指令 メキシコへ

飛べ」が再放送されます。この中に黒沼ユリ子さんが登場します

のでぜひNHKテレビ第1をご覧ください。

先ほども北陸地方に震度4の地震がありました。

父・島田正治がメキシコに住み始めたころ、安否確認に時間のかかった、あのメキシコ地震から20年。当時はテレックスで打診して生存確認作業をしてくれていたそうです。父はグアナファト出身の彦田パトリシアさんと共に日本帰国後にメキシコ地震のチャリティー展覧会を開いていたのを思い出しました。

フランスは46年も前からレスキュー隊を編成。20年前のメキシコ地震の際には大活躍、1985年の日本にはレスキュー犬は一頭もいなかったそうです。

父は日本帰国後にグアナファト出身の彦田パトリシアさんと共にチャリティー展覧会を開き在日メキシコ大使館に義援金を送ったのでした。sol(1月9日)

府川次男・和装本

●府川次男・和装本と折り形(おりがた)

府川洗山(せんざん)「はじめての和装本」(文化出版局)著者

島田正治とは、故・長坂吉和氏と学芸大学時代からの友人。

(チャパラだより341号に追悼の文章掲載)

上記著書に使用した和紙は多数が「和紙の店・大直」のもの。今回

吉祥寺ロフト「和紙の店・大直」店(0422-23-2673)にて和紙の講習会を開催。1月22日(土)23日(日)はアルバムや作品集にふさわしい粘葉(でっちょう)装仕立て本。それぞれの季節にあった制作なので人気とのことです。

※お申込み・年間スケジュールご希望の方は上記までお問合せ下さい。

▼ぜひご参加ください。”トークも楽しい”府川先生です。

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