犬のオソ

ただいま文芸春秋画廊にて個展開催中、連日たくさんのお客様に作品をご覧頂きまして本当にありがとうございます。

本日、お客様と大作チャパラ全景の作品の中の湖畔沿いの道(通り)の説明をしていましたら、ふと、昔飼っていた犬のことが思い出されてましたので、今日はそのお話をします。

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◎チャパラ湖畔の家で犬を飼っていました。

▼島田家の番犬「オソ」

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写真には1992年と入っていますので、父が1人でチャパラ湖畔の家に住みはじめて5年ほど経った頃(15年前)のお話です。

何度目かのメキシコ出張の折、ロサンゼルス経由グアダラハラ空港から入国しホテルインスぺクション(ホテルを見学させてもらう)でグアダラハラチャパラのホテルを回ったあと、社長の許可を得ましてチャパラ湖畔の父の家に宿泊させてもらいました。

すると玄関先に大型犬が座っていて、わたしを見て吠えるでもなくじっと見つめています。父に聞いてみますと野良犬がいついてしまったとのこと、しかし賢い犬なので助かっているよ、とのことでした。それが写真の「オソ」です。オソとはスペイン語でOso=熊のことでその名の通り熊のように大きな犬でした。

日本のわが家はマンションでしたので動物を飼うことはできませんでしたのでメキシコで父が犬を飼っていることはとても意外でした。しかし、扱いも手慣れた様子で、ドッグフードなどありませんから食事の残りをお箸であげますと口をあけて食べるんです、面白い光景だな〜と思いました。

翌朝、父が描きに出かけようと玄関を出ると、オソが座ってスタンバイしています。おおよそ朝9:00ごろになると父に付いて行こうと待っているのだそうです。私たちが歩き出すとトコトコついてきました。

父:「これから(車の往来が多い)この通りを渡るけど、オソはここで引き返すんだよ。以前交通事故で怪我したらしいんだ。それ以来、この通りは渡ろうとしないんだよ、よほど怖かったんだねぇ。」

確かに。トボトボ引き返してゆきます。そしてまた玄関で主(あるじ)が帰宅するのを待っているのだそうです。それが父とオソとの毎日の日課らしいです。

わたしはその日の夕方にはメキシコ市に入らなければならずオソには「お父さんをよろしく頼むね。」となでてあげながら言って湖畔の家をあとにしました。この写真はその時のものです。

それから何年かの後オソは亡くなりましたが、やがて日本から行った母が一緒に住み始め、チュラビスタの大きな家に引越しすることになります。オソはわたしが1人暮しの父を「頼むね」と言った、自分の役割を全うしてから逝ってくれたのかと思うとオソの存在の大きさに今でも感謝し、思い出すたびに涙が出ます「ありがとうね!オソ」

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そんなオソのことを思い出しながら展覧会場で、お客様には「この辺りがサンアントニオ村で、この通りを渡るとチュラビスタです・・・」とご説明しています。sol(4月25日)

チップの話3

◎以前チップのお話をしまして、思い出したことがあります。中国・北京でのお話です。

昔、観光(ツアー)で北京を訪れた時のこと万里の長城を歩き終えてから、屋台のお店巡りをしました。とにかく凍てつくような寒さの中国大陸で、止っていては寒いので足踏みしながらお店の人とお話したりしていたのを覚えています。

途中、ある露天雑貨店で音珠(おとだま)を発見しました。それは、サラサラという音の鳴る(直径3cm〜5cmほど)心癒される美しい音色と色彩の七宝の工芸品で、みなさん中国や台湾のお土産でよくご覧になっている人気商品ではないかと思います。

1箱2個入りで売っていたので2箱買うといくらになるか、値段の交渉をしていました。すると後ろから「君達は旅行会社の社員なんだろう。外国に来たら外貨を落として帰るのが常識だよ」とツアーご一緒だったS氏に窘められました。

わたしたち(私と後輩の女の子)はあと少しで2箱が安くなるところでそれどころではなかったのですが(何元だったか値段は忘れました)通じない中国語で身振り手振り値段交渉を楽しんでいるのだからいいじゃない!と思ったものです。

しかし歳を経てみますと、イベントで子供が小物を欲しいといえば安価なら値切らずそのまま購入しますし、夜遅くタクシーに乗れば、夜間勤務ご苦労様と、960円なら1000円出しておつりはいいです、なんて言ったり小さいことが気にならなくなってきていることに、気が付きました。

お土産は「値切ってみるもの」「値段交渉を楽しむもの」としか思っていなかった自分に、今さらながら反省です。すごく安い工芸品だったのにね!

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メキシコ民芸品にても同様で、これだけの民芸品仕上げるのに相当の時間と労力かかったのだな、と思うと、2個3個でまけてくれとは言えず、100個購入してようやくどの位まけてくれるか?と言えるようになりました。それさえも申し訳なさを感じる時も、あります(情けは無用!?)。

若い頃は単なる旅行者で、現在は民芸品の仕入れで訪れているわけで、数量の差や感覚に差が出てきて当然なんですが。。。自分の変りように苦笑しています。

商品・作品(形のあるもの、そして、ないもの)には全て値段があり、それには相等の費用と労力がかかっているということが理解できると、値切るばかりでなくチップも弾んであげられるようになります。サービスが悪ければそれ相当に渡せばよいことです。

イミテーションかどうか、本当に良い商品・作品かどうかを見極める鑑識眼を持つことも大事です。自分の直感や勘を頼りに、しかしながら、これは「べらぼうに高い!」と感じた時にはまずは値段交渉から始めてみることにしています。sol(4月12日)

チップの国メキシコ

今日はわたくしの母島田和子のお話です。

両親はメキシコ市に滞在するときには、日系二世で知人のドクトル難波の車を手配、運転手ホセ・アントニオに頼むことにしています。

グアダラハラからメキシコ市へ出てきた両親と、わたしは日本からメキシコ市へと、合流したときに初めてホセ・アントニオに会いました。

折しもメキシコ市に寒波がやってきて、メキシコ人はみなマスクをしたりマフラーを首に巻いて「おお寒い、寒い」と口々に言っていた頃でしたが、わたしは日本の寒さから解放され「なんて寒くないんだろう」と思ったのがメキシコ市に到着したときの感想です。日本のような「底冷え」の寒さはメキシコでは感じられませんでした。

ホセ・アントニオも風邪気味のようであまり暖かそうではない化繊のマフラーを首に巻きティッシュでチーンと鼻をかんでいました。

車の中で、母が

空港タクシーってぼられたり、案外高かったりするの。だからドクトル難波にお願いしてホセ・アントニオに頼んだほうが、きっちりやってくれるし安心。タクシー代払うくらいならホセ・アントニオにチップあげたほうがいいわ。」という話題になりました。確かにそうです、タクシーに乗って高い運賃請求されたり違うところへ行ってしまったり、煩わしいことあります。

ほどなくしてホテルに到着し、母が、風邪が辛そうなホセ・アントニオに「では明日10:00に来てね」と言っていました。

その後、夕食を食べながら

「ホセ・アントニオ風邪が辛そうだけれど大丈夫かしら。チップ弾んであげるから、大丈夫よね・・・」と母が父と話していました。どのくらいのチップをあげているのだかわたしにはわかりませんが、なんだかタクシー代の倍以上は払ってあげているような・・・

「あなた、チップどの位あげる?」と父に相談しつつも決定権があるのは母のようで「チップ」を楽しんでいるようにも見えました。

長年メキシコに暮らしていて、運転手にも伝えたいことをきっちり言えて、ご苦労様 はいチップよ、と、惜しむことなくチップをあちこちで払っている母を見ていて、ほとんどメキシコ人的な感覚になりつつある母を垣間見たメキシコの旅でした。

翌朝、薬で治ったのかホセ・アントニオはすっきりした顔で9:30にホテルに迎えに来てくれました。

sol(3月10日)祖母きくの誕生日です。

ポソレ

◎メキシコでポソレ!食べました!

「ポソレ」ご存知ですか?

豚肉とジャンボコーンのスープ、千切りレタス入り、です。

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美味し〜いんですよ。でもそのポソレ屋さん何というお店だったかな?と旅行記の手帳を見ましたらなんと記入していない!そんなこんなしていましたらメキシコ情報誌「セッテン」に掲載されていましたのでご紹介することができました。

お店の名前は「LOS TOLUCOS」もちろん私が発見したわけでなく、メキシコ市在住の友人Miyukitaさんが連れて行ってくれました。

Miyukitaさんはだいぶ以前から、メキシコに来たら「ポソレ屋さん行こう!行こう!」とよく言っていましたが、それを今回ようやく実現することができました。

「ポソレ」発祥はゲレロ州のお料理だそうですが現在はメキシコ全国で味わうことができます。素朴な素焼きのスープ皿がとてもマッチしていて、こんなに美味しかったっけ?というほど美味しく、舌鼓を打って頂くことができました。(みなさまご馳走様でした!)

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メキシコでの「ポソレ」の思い出はミチョワカンのモレリアだったか、地方都市に滞在した際、メキシコ人家族が夜店に連れて行ってくれ屋台でフ〜フ〜いいながら美味しい美味しいと食べた記憶があり、とにかくトウモロコシが大好きな人にとってはたまらない味です。

日本に帰国後、作ってみよう思ったのですが当時はジャンボコーンが売っていなかったので(豚肉ではなく鶏肉と思っていたので)チキンスープに缶コーンを入れて千切りレタスかけてみましたが美味しくない、ぜ〜んぜん違う味で、再現することができませんでした。

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現地のものは現地で味わうのが一番!なんですね。こればかりは作り方を伺うことはせずに日本での再現は今回もあきらめて、次回メキシコ旅行の楽しみにとっておくことにします。sol(1月24日)

20070122-blog3.jpg    20070122-blog4.jpg    20070122-blog5.jpg ディエゴリベラの作品のような絵が飾られていました。

「いそがない」「おこらない」

チャパラだより367号はもうお読みいただけましたでしょうか?

「いそがない」「おこらない」はメキシコの人たちに本当に当てはまる言葉です。

先日もホームギャラリーにいらしたお客様と、メキシコの人たちについての話になりました。

「メキシコ人って、だいたい約束の時間に遅れてくるわよね。」

「ランチ一緒にしましょうと12:00に約束すると現れるのはだいたい1:00。だからレストランの予約はいつも1時間遅くすることにしているの。」

「メキシコの人たちと待ち合わせする時には屋外は不向き。1時間は待てる場所カフェとかでなきゃ、ね。」

「午後行きます=3:00〜6:00のあいだという場合が多い」

「時間が迫ってハラハラドキドキしますが、もうギリギリ〜というときにちゃんと現れるのがメキシコの人」

というのが総合的なみなさんのお話の内容です。うんうんと頷かれていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。

実際にはエアポートへは飛行機の時間などには間に合うよう送ってくれますし、また到着時には、たとえ飛行機が何時間遅れようとも「問題ない」と気長に待っていてくれるのがメキシコ人。

わたしがメキシコを発つ朝も飛行機が2時間〜5時間遅れと聞いて、メキシコ人家族にも私を空港まで送っていく都合もあるだろうに「大丈夫」と言って時間に送り届けてくれました。

日本で約束の時間を大幅に遅れるということはNGではありますが、あちらメキシコでは1時間は10分のようなものと言えばお分かりいただけるでしょうか「時間の流れがゆっくりしている」んです。10分と考えれば約束の時間に遅れても許容範囲に思えてきます。

わたしも今回メキシコに触れ

「Dondequera que fueres, haz como vieras」(郷に入っては郷に従え)と自分自身に言い聞かせ行動しましたら、不思議なもので心も体も、何があっても動じない自分になっていました。国土が日本の5.5倍と広いことも影響しているように思います。

「約束の時間を守る」大切なことです。しかし何事も「問題ない」と言って相手を受け入れる(許す)ことができる大きな心を皆が持っているまた現在の日本人に欠けつつある「家族を大切にする」メキシコの人たちを見習いたいと思った旅でした。sol(2007年1月12日) 

メキシコ空港のお話?

先日メキシコシティ空港にては「ゲート変更にはご注意を」というお話をしました。

もうひとつ気づいたのは、ホイールチェア(車椅子)で航空機を乗り降りする乗客が多いということです。

よく見てみますと出口まではご自身で歩いて出てくる、そして用意されていた車椅子にすんなり座って移動するといったパターンです。予めの予約されているのでしょう、各ゲート到着時刻と必要な乗客人数に合わせて係員が待機しています。

係員の大抵が若い男性職員でホイールチェア乗客のセニョーラたちの手を取り椅子に座らせ、会話しながら長い廊下を歩いていました。

(ただいま動く長い歩道の建設が進みつつあるようですが)

これだけたくさんの人が国内・国際線で移動し車椅子を利用している光景は初めて見たように思います。そう、京都もご年配の方々にはたくさんの配慮がされていて旅行でも行き易い都市ですよね。

確かにメキシコ人は母親や家族をとても大切にする習慣があり、今回の光景を目の当たりにし、人にやさしい国なのだなと思い、心があたたまるのを感じました。

若い頃には見えなかったメキシコの一面を垣間見ました。sol(12月21日)

メキシコ空港のお話

メキシコシティ・ベニトファレス国際空港は、メキシコ初のインディオ出身の大統領の名前から命名されました。

現在は拡張工事もほぼ終了段階で横長に広がり、日本航空は一番奥の棟にカウンターが設置されています。日本からバンクーバーを経由し到着したときにも、長いフライトの末ひたすら長い廊下を入国審査まで歩きました。グアテマラから入国した際に、また歩くのか〜と思っていましたところ「あれに乗りましょう」とメキシコ人のご婦人が私達に声をかけてくれ無料のカートで入国審査まで移動できラッキーでした。

因みに無料カートはハンディキャップのある方、妊娠中の方、老人向け、ということで両親も老夫婦に見えたので、声がかかったというわけですね。お声をかけてくださったご婦人はメヒカーナ航空の地上勤務なのだとか、なるほど良くご存知で。

グアテマラ行きのメヒカーナ航空385便は19ゲートに1時間前という指示がありました。どうも航空機も見えませんし(直感というか)心配になりアナウンスがあったわけでなくこちらからお尋ねしましたところ、出発30分前に32ゲートに変更とのこと、これまた長い廊下を小走りに急ぎました。

結構離れていましたよ、その距離200〜300mあったかもしれません。32ゲートに着いたときには搭乗が始っていました。私たち同様、19ゲートから移動してきた人も多かったはずなのに、出発時刻はほぼ定刻どおり。みなさまもご経験済みでしょう、なんてことはない、よくある話なのだそうですから、飛行機に乗るまでがひと苦労です。

最後に日本航空JAL011便は航空機が前日到着している便ですのでゲート変更はないだろうと思っていましたら、やはり42ゲート前に航空機が見えません。周りを見渡してみましたら隣の隣にJALの尾翼が見えるではありませんか。出発案内掲示板にて確認し変更の39ゲート前に着きましたら搭乗が始まるところでした。

搭乗口を変更して出発が定刻から遅れたり、乗客が乗り遅れたり、アナウンスし直したり余計な手間かけないほうがいいような気もするのですが、慣習というか名残なのか、まぁ郷に入っては郷に従えということでこの際あまり深く考えず、出発案内掲示板は要チェックし「搭乗ゲートは必ず変更あり」という法則?に注意しましょう。sol(12月19日)

▼ゲート前に航空機が着いているかチェック!(アエロメヒコ航空)

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